2017.06.20


プレイヤーとオーディエンスならきれいに対義語となるでしょうか。

netkeiba で興味深い記事を見つけたので、口やかましくならない程度に感想を書こうと思います。

【座談会】“海外競馬”の取材現場は? ―「競馬メディアのあり方」を騎手・記者・評論家が徹底討論 - netkeiba.com

タイトル通り、競馬メディアのあり方についての記事。上記のリンクはいわゆる4ページ目で、その前に福永、柏木集保らの座談会とサッカー、野球との対比が掲載されています。

取材の実態やジョッキーと記者との距離感、新聞の関係者コメントがみんな同じなどという妥当な?意見も飛び交っていて、面白い企画という印象ですね。ゴシップぽいテイストも悪くないのですが、程度を心得ているならこうした正面からはいる切り口の方が好みですね。



リンク先の記事ではウオッカのジャパンカップ後、記者質問の際のエピソードが紹介されています。武豊からルメールへの乗り替わりについて、Blood-Horse 誌のレイ・ポーリックが乗り替わりの経緯と決裁者についてド直球で質問し、日本人記者が凍りつくような場面があったとのこと。

当時に限らず、乗り替わりの経緯はなかなか議論されませんよね。取材記者との間で突っ込んだ質疑になりにくいのは、取材対象者への配慮なり遠慮からとは察しがつきます。事実を覆うような配慮は行き過ぎと思いますが、「勘弁してあげたら」「節操がないな」という感想をもつケースもありました。

個人的な経験ですが、キングカメハメハの故障引退後、ウマ科学会のゲストに招かれていた松国師に故障の経緯と責任を問い詰めるやり取りを目撃していまして、さすがにTPOを欠いた姿勢と感じたことがあり。基調講演の質疑応答のタイミングでしたからね、取材ならその後に改めるべきでしょう。

同じ事実確認をするにしてもタイミングやニュアンスは大切にしてほしいですし、こちらも大事なポイントにしながら目にしたいですね。お互い感情のあるいきものですから。

レイ・ポーリックの姿勢も間違いではないでしょうが、どちらかの価値を極端に押し進めることが健全とはあまり思っておらず。ソフトランディング的に歩み寄る姿勢が理想ですね。

といいつつ、例えばエージェント制ひとつ取っても、往々にして極端に振れて見ないと価値観の補正は効かないようにも思っていまして。人間が寄せ集まると不器用なものなのかなぁと若干達観するところもございます。

取材の慣習にはお国柄もでるでしょうから、それを踏まえてバランスよく客観性が保てていると素敵なのですけどね。海外からの注目が増えるほどにそうも行かなくなってくるかもしれません。



…島田さんのコラムよろしく、行ったきり元のテーマ設定に帰ってこれない気がしてきましたw

いまいまはプレイヤーに己のパフォーマンスを分析させる場面が常態化しているように思います。これが行き過ぎるのはあまり健全でないのかな、と感じたことを書きたかったのですよw

自己都合誘導といいますか、ポジショントークとしてのコメントがでてしまうケースもゼロではないでしょうし(悪意であってもなくても)、すべてのジョッキーがレース直後に高いレベルで客観的な分析をし続けられる訳でもないでしょう。そうしたコメントを均す意味で評論という立場は必要と感じます。

例えば自分のフォローしている方のツイートからは、マスメディアの通り一遍な切り口より見識のある指摘を目にすることがあります。…個人の感想といえばそうですが、いやレベル高いですよ、ほんと。こうした発言は全然肯定する立場ですしもっと促進されてよいと思っています。

ただ職業として立場を追って発言する評論がこれらと区分けされた状態で成立するかどうかが重要で、それを成り立たせることができないコミュニティは自壊なり半壊した状態なのかな、とも感じております。プレイヤーとオーディエンスが融解してそれぞれの主観が過ぎて、語りの軸、語りたいものの魅力を見失う、とでもいいますか。

…プレイヤーとオーディエンスの間にプロの媒介(メディア)があって、そこで座標軸を呈示する評論が成り立つというフレームを保っていること自体、古い人間の表明なのかな。ひょっとしたらビジネスとしての評論と見識高いアマチュアの議論は、緩やかに融和していく流れなのかもしれません。でもまだ要ると思うんですよね、プレイヤーでもオーディエンスでもない視点が。



えー、絶賛口やかましくなっておりますがw 議論はまとめずに書きっぱなしておきたいと思います。ひとりで決め込むものでもないですしね。

…あー、大川慶次郎さんならどんな立ち位置で話すでしょう。「競馬評論家」を自称していましたからね。
関連記事