2017.02.19


先日、種牡馬引退のニュースに触れましたので、もろもろまとめて書いておきたいと思います。思い出語りは年々長くなってしまうようでして困ったものですけどね。はい、極力まとめていきます。

ふるさと案内所が速報とオフィシャルアナウンスを兼ねていたでしょうか。改めて記事を見ると必要十分な略歴も書かれていましたね。
スペシャルウィークが種牡馬引退 | 馬産地ニュース | 競走馬のふるさと案内所

公式データはこちらから。
スペシャルウィーク|JBISサーチ(JBIS-Search)


引退の報よりこちら、現役時代の映像を改めて振り返っておりました。こちらの経験値が上がっているせいか、いろいろ気がつく点がありますね。


スペシャルウィークを強く本命に推していたのは4歳春(旧表記では5歳ですね、古馬になってから)の阪神大賞典、天皇賞(春)でした。頼もしかったなぁ。差しを仕込んできた主戦の武豊が自在性を身につけてほしい旨、発言をしていた頃ですね。

改めて観ると、スペシャルウィークで先行したのは岡部が最初でした。3歳のジャパンカップ。スペシャルウィークの白い手綱がピンと張って、両足を突っ張りながらの前受け。長手綱の見栄えが記憶に強いですからね。新鮮でした。

前走の菊花賞は逃げ切られての完敗でしたし、その前の京都新聞杯は3、4コーナーで早め進出からキングヘイローをギリギリ捻じ伏せる内容。どちらも待機策に盤石さが見出しにくい内容ではありました。テン乗りの付加価値を求める意味でも、岡部の先行策は妥当な一手だなぁと。陣営の指示かもしれませんけどね。

アドマイヤベガの新馬戦で騎乗停止だった主戦からすれば、ある意味いいタイミングで先行策のトライアルが成ったのかもしれません。継続騎乗で結果が出ている状況では、なかなか脚質面の冒険はできませんものね。

武豊が引き出したのがサンデーサイレンスの切れなら、岡部が求めたのはマルゼンスキーの持続力だったかもしれません。…思いつきで響きのいい言葉を並べましたすみませんw


阪神大賞典の3コーナー過ぎ、武豊はスペシャルウィークにメジロマックイーンを課したようでした。重馬場でのロングスパート。スピードとスタミナと集中力の持続と。今後チャンピオン足りうるのかという課題のように映ります。

同じく重馬場だったステイヤーズSを大差勝ちしているメジロブライトが最後まで詰めてきましたが、これを退けての勝利。天皇賞への自信につながったでしょうねー。阪神大賞典の後半5ハロンは以下。ラスト1ハロンに折れない心がみえます。
13.0-12.4-12.1-12.0-13.4


ラストレースとなった有馬記念の4コーナー。グラスワンダーの鞍上的場は少し大回りをしながら内を振り返っています。直後につけていたスペシャルウィークからすると、加速しながら飛び込むにはロスのないポイント。グラスワンダーの内にはいれますからね。

いわゆる「釣り」といえばいいでしょうか。首でも入れてくる素振りがあれば、的場はその進路を閉めていたでしょうね。武豊は釣られませんでした。最適なストライドとリズムを重視したなら相当に冷静ですね。

大回りの弧を描くグラスワンダー、その外側を狙って鋭角に直線へ差し込むスペシャルウィーク。それぞれの鞍上の思惑と駆け引きが、対照的な4コーナーのコーナリングを生んだように見えています。…当時は大興奮していましたし今からでもパトロールビデオの公開を求めたいですねw

ずいぶん前に書いた4センチ差の有馬記念についてはこちら。
more than a DECADE 1999年有馬記念


現役時代の印象が強いのは、自分が競馬にのめり込んでいた時期だからでしょう。いや、今ものめり込んでるかw 96年から競馬を始めて、ちょうど少しずつルールや楽しみ方をつかみ始めてきた頃にスペシャルウィーク世代ですから贅沢な趣味ですよね。そうですね、当時はもっとマスコミが文字にするイメージやギミックに素直に反応していたように思います。いろいろ目新しかったしなぁ。


産駒といえば。多数のファンはブエナビスタを挙げるのでしょうけど、印象深いのはシーザリオなんですよね。武豊にしてやられたところから逆襲したオークスも、サンデーサイレンスの孫を里帰りさせたアメリカンオークスも、レースぶりは対照的ながら、強かったですよね。

個人的にはフラワーカップも印象的。先ほど映像を探して観てみましたが、今と変わらない福永のそつのない騎乗がありました。リズムでいえば昨年のエンジェルフェイスなのですが、直線に向いてから突き放すのはシーザリオの地力そのもの。ディアデラノビアがいなければ春のクラシックは不動の本命だったでしょうね。

その仔エピファネイアはダービー本命。お母さんの分も、という思いは実は少なめだったんですけどね。菊花賞の後は母仔含めてよかったなぁと思いました。いま見返したら、シーザリオの向こう側、などと気を利かせた表現を繰り出しておりましたね。
more than a DECADE 菊花賞


上記の表現が差している通り、古馬になってのシーザリオが見てみたかった。先のフラワーカップの延長線上、エピファネイアのジャパンカップの間に、きっとウオッカのような圧倒的なヴィクトリアマイルが見られたのではないかなと思っています。

首の振り子をあまり使わずに走るあたり、スペシャルウィーク譲りという理解をしています。それでいうとブエナビスタも近い動き方ではあるのですが、スペシャルより柔らかいイメージがあって、微妙にお父さんとは区別しているんですよね。とても個人的な心象ですので、ブエナビスタが鬼の子とかいうつもりではないのですけどw

残念なのは牡馬にチャンピオン級がでなかったこと。でもこれを残念と呼ぶのは贅沢なのでしょう。今年からリーチザクラウンが社台スタリオンにスタッドインしていますし、エピファネイア産駒もリオンディーズ産駒も楽しみ。当面スペシャルウィークの響きは血統表の中に残りそうですからね。



最後に。

「STALLIONS IN JAPAN 2017」のDVDが手元に届きました。ターフィー通販クラブでバシッと購入しております。

種牡馬の立ち姿とウォーキング映像をずっと拝見するという、生産も一口馬主でもないファンが反応するにはかなりマニアックな内容なのですが、刊行10周年の企画として過去のリーディングサイヤーや顕彰馬などの写真、映像も収録されていまして、メモリアル感満載のため購入いたしました。

どうやら引退の報は間に合わなかったようで、スペシャルウィークは現役のラインアップに含まれておりました。このリアルなタイムラグがかえって不可逆な時間の経過を寂しく思わせます。


天皇賞春では頼もしい本命、有馬記念では最悪のライバル。思い入れを再確認させていただきました。個人牧場ですから難しいところでしょうが、見学できる環境が整うことを願いつつ。

ダービー馬が役割を全うして余生を過ごせるなら、競馬の有り様としてはひとつの理想と思います。

ありがとうございました、ゆっくりしてくださいませ。

2016.06.25


2005年のユニコーンS。前週のダービーの余韻が残る東京競馬場のパドックには、無敗の2冠馬と同じ勝負服の1番人気が周回を重ねていました。騎乗命令がかかり、出走馬がパドックから地下馬道に消えていく少し手前で、不意にどこからかおじさんの声が。「打倒!……(すこし躊躇するような間があって)……ディープインパクト!!」

…パドックは小さなざわめきと小さな失笑があちこち漏れる微妙な空気に。自分は悪友と「さすがにそれはないだろw」「今日はダートだけど、どうやって打倒すんのw」という真正面からのツッコミをこしょこしょ入れておりました。

「砂のディープインパクト」の異名はこのくらいの上ずった空気も生み出していたというエピソードになるでしょうか。端午Sの時点でディープインパクトに依らず、期待値は高かったですからね。他にも「雷神」「雷帝」などいくつかの異名で通ったカネヒキリ。最初の思い出は、と記憶を手繰ったところ、この無理を承知なヤジに行き当たりました。


ダービーウィークの訃報でした。種付け中の事故とのこと。見学不可の優駿スタリオンでの
供用でしたから、直接会いに行けるのはすこし先かな、などと思っていました。残念ながらそれも叶わなくなりましたね。あーもちろん各牧場の意向は前向きに尊重している前提です。会いにいけなかったじゃないかーみたいなテンションではございません。そこは大丈夫。
カネヒキリ号が死亡 JRA

実は引退直後から競走生活のまとめを書こう書こうと思いながら、いまに至ってしまっています。産駒デビューのタイミングが一番しっくり来ていたんですけどね。まぁタイミングよく?色々起こるわけで、落ち着いて自分の記憶や評価や思いに向き合う時間が取れないまま流れてしまっていました。いまだ「カネヒキリ、書けてない!」というテンションが持続していますから、…長過ぎですねw


競走成績をきっちり追って書いていくととてもまとまりませんので、印象深いポイントをいくつか拾い上げながら書き記していこうと思います。
競走成績:全競走成績|カネヒキリ|JBISサーチ(JBIS-Search)


アジュディミツオーに敗れた帝王賞までは、細かな分析よりお気に入りという気持ちが前面に出しながら応援していました。ジャパンダートダービーとジャパンカップダート、フェブラリーSは現地観戦。ジャパンカップダートの辛勝、リアルタイムではテンションが乱高下していたのを覚えています。そう考えると、レースの分析力がついてきたのは半笑いさんの中間ラップ的な着眼に触れてからかもしれません。そうそう、後年このジャパンカップダートを3着したスターキングマンに青森で再会するのですが、これはまた別の話。

帝王賞は悔しかったですねー。上記の現地観戦はすべて悪友と繰り出していたのですが、この時だけ自分が仕事で観ることが叶わず。あの一騎打ちを観られなかったんですよねー。後々まで悪友から謎の自慢をされる始末でして、痛恨の極みでございます。本当に仕事って何でしょうねw


屈腱炎を乗り越えての阪神でのジャパンカップダート、仁川まで行きましたねー。カネヒキリの応援でもありましたが、府中のジャパンカップダートが皆勤だったんですよね。ウイングアローから全部ですから、途切れさせたくないという変な意地が覗いてもいました。阪神1800mへの期待も、ヴァーミリアンとカネヒキリの対決が楽しみだったこともあり、現地観戦にいたしました。

10番枠からスタートして、3コーナーでは内ラチ沿い、逃げるサクセスブロッケンの真後ろに構える素晴らしい立ち回り。4コーナーではアメリカから参戦したティンカップチャリスが
右回りの遠心力に耐え切れず膨れてしまい(アメリカ競馬は左回りばかりですものね)、ルメールは慌てずその間隙を取って抜け出しました。

進路が開いたときはさすがに声が出ましたねー。そのあたりの様子は当時の記事にしたためてございます。ヴァーミリアンの鞍上にしれっとイヤミも含めておりますね。困ったもんだw
more than a DECADE JCダート観戦記


同期のヴァーミリアンとは4歳のフェブラリーSで対戦して以来。生涯戦歴を比べればキャリアのピークがずれていたとも距離適性がずれていたとも語れるでしょう。ヴァーミリアン、カネヒキリ療養中がピークといっていいでしょうか、とくに圧勝したフェブラリーSはマイルでは短いと評価される同馬にとってキャリアハイのパフォーマンスだったと思っています。

2頭のチャンピオンの交錯。このジャパンカップダートから東京大賞典に向かうあたり、特に同期対決というマスコミの強い煽りはありませんでしたけどね、レース前のわくわく感がとても高かったのを覚えています。

ヴァーミリアンはスプリングSを惨敗した時から動向を気にしていた1頭でした。武豊がクラシック本番で乗れないことから(ディープがいましたので)トライアルから降板させる拙速な流れが引っかかっていたのを思い出します。そうそう、その日は岡部さんの引退セレモニーがあっての中山参戦でした。…いけませんね、芋づる式に記憶が呼び起こされていますw あのお神輿の話をしたいのではないのですよw


G1連勝で決めた東京大賞典は、最前列で見届けたパドックをよく覚えています。10頭立ての7番から、フリオーソ、サクセスブロッケン、カネヒキリ、ブルーコンコルド、1番に戻ってヴァーミリアン、ボンネビルレコードと、まさに重量級のオンパレード。500kg超級が順番に目の前を通過するわけですから、圧巻でした。もうボディビルよろしく「キレてます!」とかけ声は…かけませんでしたけどw 大変貴重な経験をさせていただきました。

レース結果と回顧記事は以下にて。衝撃的な上がり勝負でした。
10R 東京大賞典(中央交流)|2008年12月29日(月)15回大井4日|JBISサーチ(JBIS-Search)
more than a DECADE 東京大賞典


そうそう、そのパドックで、目が綺麗だなーと思っていました。その時は思い至らなかったのですが、オーナーはディープインパクトの目に魅かれて競り落としたとか。カネヒキリもくりんとして真っ直ぐな視線でしたから、ひょっとしたらオーナーの中では共通するところがあったのかもしれません。あまりインタビュー記事を見かけませんから、どこかでまとまった読み物があれば目にしたいですね。


そのオーナーの決断が、カネヒキリを前例のない治療に向かわせました。競走生活後半の軌跡に大きく影響をした幹細胞の移植手術。復帰してジャパンカップダートを制してからはだいぶカネヒキリのイメージが変化したと感じています。関連記事はこんなところでしょうか。
第1回幹細胞治療および再生医療セミナーが開催される | 馬産地ニュース | 競走馬のふるさと案内所
カネヒキリ復活神話続く/フェブラリーS - 競馬ニュース : nikkansports.com

うろ覚えなので裏を取りたかったのですが、手術後は患部のために馬体を仕上げ切ることも緩めることもリスクが大きかった、という主旨の角居師のコメントを目にした記憶があり。ラスト3戦のローテーションはその難しさを物語っているように思っています。


いまになっての視点。海外と芝を除くと、唯一3着を外しているのが復帰戦の武蔵野S。当時は内枠が仇になって終始包まれたままの不完全燃焼だったレース、という認識でした。ただ残念に思っていただけでしたが、いまいま改めて見直してみるとちょっとした仮説に行き当たった次第です。

もし、カネヒキリが一切躊躇せずに屈腱炎前のカラダの使い方で直線加速をしようとした場合、再発のリスクが高くなってしまうでしょう。ひとの側の思惑として、ブレーキを引かざるを得ない展開があれば、馬の評価に大きな傷をつけずに、馬体への負担が大きくならない形で復帰戦=試走を無事に終えることができる。最内枠スタートという難しい条件を逆手に取って、馬込みの中で進路を探り、加速ができずに負けたというエクスキューズなら一応成立しますよね。

その前提でレース映像を観ると、直線半ばにいったん追う動作が続いてから、今度は手綱を抑えている姿。このままゴールに入るわけですが、これが減速をさせない程度に首の可動域を制御しているように見えなくもないかと。こちらの主観が過ぎていますかね。どれくらい事前に考慮されたのかも計りかねてしまいますが、実は難しいミッションを武豊は請け負っていたのかもしれません。…単に詰まって負けたなら邪推が過ぎただけですけどね。


個人的なイメージをもう少し。縦軸にスピード、横軸に秒をとって、カネヒキリの末脚をグラフ的に表現するなら、きれいな放物線を描くようなイメージをもっています。しっかり計ればきっと違うのでしょうが、急な加速も急な減速もない、なだらかなスピードの変遷がグラフ化されるように思っています。

どんなコース、どんな馬場コンディションでも比較的そのイメージ通り、安定した末脚を見ることができたように思っていまして、それはおそらく、カネヒキリのメンタルの安定でもあったのかもしれません。

窮屈なテンションに陥っている記憶がないんですよね。いつもフィジカルをしっかり主張して、パドックではいつも外々をピッチ速めにのしのしと躍動して、レースでは全力でトップスピードを披露していつも通りの減速カーブを描いてくれる、という確信が常にありました。思い出が過剰に美化されているかしら。とりあえず、同じフジキセキですが、いつでもキョロキョロしているイスラボニータとはだいぶ異なりますねw

ひたむきさや執念といった感情よりは、マイペースあるいは無邪気といった表現の方がしっくりくるキャラクター。健康的なマッチョ、というと凄まじい語弊を招きそうですがw こんな心象は現役通じて自分の中であまり変わりないものでした。



いよいよとりとめがなくなってきました。
締めましょうか。

こうやって書きながら振り返ると、現場で観戦して一喜一憂しながら、しっかりい元気をもらっていたんでしょうね。ファン歴の中でオンリーワンみたいなお気に入り感はないのですが、長くお付き合いをした馬ですから。

イメージが連関してしまったので書いちゃいますが、BUMP OF CHICKENの「花の名」という曲で「生きる力を借りたから 生きているうちに返さなきゃ」という一節がありまして。いやーさすがに大げさっすねw という自分はしっかりいるのですが、仕事が変わる時期でもありましたし、少しは借りていたんだろうなぁというセンチな感情に浸っているところです。観戦しているときはこちらも無自覚で無邪気ですからね。きっとそれが借りた物なのでしょう。

亡くなってしまった分は、こうして語っておくことで次に繋がればよいのかなと思っているところです。関係者と異なり、ほどよい距離なら好きに思い入れられるのがファンならではのスタンス。引き続き、お気に入りの名馬として楽しませてもらおうと思っています。とりあえずダービーの直線でマカヒキの背中を押すタイプではないように思ってますけどねw

こういうマイペースな表情も載せておきましょうか。ふるさと案内所のコラムです。
カネヒキリを訪ねて~優駿スタリオンステーション | 馬産地コラム | 競走馬のふるさと案内所

ゆっくり休んでください。ありがとう。


2015.12.31


23歳、頚椎損傷が死因と伝えられています。

JRAの発表はこちら。社台スタリオンステーションの徳武さんのコメントが掲載されていました。
フジキセキ号が死亡 JRA

頚椎狭窄の治療を続けていたという話は初めて目にいたしました。さらっと調べたところ、人間の場合ですとカラダに痺れ、歩行障害などが生じるとのこと。2013年に腰痛で種牡馬を引退しているようですが、症状が複合していたのなら、ここ1、2年はつらい状況が続いていたのかもしれません。

オンタイムでは、サンデーサイレンスの血のニーズを受ける種牡馬としてのフジキセキしか知らず。「長兄」と評される部分になりますね。現役生活には間に合っておりませんので、その当時の評価や空気などは間接的に見聞きするばかりでした。自分が調べ始めた当時(96年の夏前)は2年目の種付けシーズンが終わるところだったでしょう。フジキセキとエイシンサンディの取り扱われ方の違いから、種牡馬の評価などもろもろの競馬の価値観に触れることになりました。懐かしいですね。


YouTubeでいろいろと映像を追いかけることができました。以前確認していた映像ではありますが、もみじS、朝日杯、弥生賞と、角田の騎乗は改めて違和感を覚えますねー。いや、悪い意味ではなく、脚元への配慮が先行した騎乗であることがかなり露骨に伺えます。

個人的な見立てですが、十分な前進気勢とトモのパンプアップ、これに対して化骨なり腱の強度なりの成長が不十分だったのかなと感じています。普通に乗っていたらもっと早く脚元を壊していたかもしれません。ただ、直線でのおいでおいでと、交わされそうになった際の加速。実際に取った戦略は、瞬間的に強い負荷を招いていたのかなーなどと妄想をしております。真偽のほどはわかりませんね。

なお、放牧地で昼寝している姿など貴重なオフショットも確認できましたよw フジキセキでYouTube検索してみてくださいませ。しかし、あの朝日杯も弥生賞も生で観たかったですねー。

フジキセキの主な産駒一覧とフォトギャラリーをじっくり見たい方には以下にて。ふるさと案内所のページはなかなか充実していました。
フジキセキ | 馬・牧場・施設検索 | 競走馬のふるさと案内所



強くてパンプアップする筋肉は産駒にも受け継がれたでしょう。キンシャサノキセキ、エイジアンウインズのパワーを利した瞬間的な加速は典型的でしょうか。いずれも馬券的には合わなかったですねーw

フジキセキ産駒で1頭挙げるなら、というお題も早速あちこちで目にしております。自分が選ぶとカネヒキリになりますが、カネは別の投稿で書きたいんですよねー。といいながら数年が経過していますのでw ええ、いい機会をフジキセキからいただいたと思っています。頑張ろうかな。


そうそう、ダノンシャンティ、イスラボニータはだいぶフジキセキとは似ていないイメージ。でも、グラスワンダーとスクリーンヒーロー的な差異が大きい例もありますしね。種牡馬としてまた独特なバイアスを示してくれるのか、引き続き楽しみにしたいと思っています。年が明けての中山記念で復帰する皐月賞馬、まだ現役ですけどね、こちらも期待して待っていますよ。


フジキセキのデータはこちらで確認できます。
フジキセキ|JBISサーチ(JBIS-Search)

また、種牡馬時代の評価の程度についてはWikipediaが端的に充実していると思います。
フジキセキ - Wikipedia

シャトル種牡馬のはしり、という認識もございます。サンデーの血を国内に留めないための施策、そのアクションを真っ先に担った「長兄」の活躍、お見事でした。リアルタイムで観ることができなかった分、憧れに似た感情を強く覚えていましたね。ゆっくり休んでくださいませ。



最後に。

本当は過去の優駿を引っ張り出してじっくり堪能したいところなのですが、実家との往復が余儀なくされるため、Webで収集出来る限りの情報を集めた格好になっています。でも記事をひとつ書く分くらいは、さらさらと検索で引っかかってきましたねー。いろいろ手探りして情報を仕入れていた96年当時と比べると、情報を集めるコストは断然下がりました。そちらにも感慨深さを覚えているところです。

さぁ、日付はすっかり変わって大晦日。このあと眠ってから、恒例の年間フリカエリな投稿をしたためようと思っています。


2015.08.15


マンハッタンカフェが亡くなりました。

17歳、腹腔内腫瘍が死因とのこと。JRAの発表はこちらです。
マンハッタンカフェ死亡

どのくらい前からなのかははっきり掴めませんでしたが、2週前に蛯名が見舞っているという記事を見る限り、しばらくは患っていたようです。小島師が見舞ったときは痩せた一方で飼葉を勢いよく食べるという、対照的な姿を見せていた様子。師の主観がはいりますからいろいろ汲み取って受け取るべきかと思いますが、厳しい闘病生活だったことが伺えます。

それぞれの記事は以下の通りです。
G1・3勝馬マンハッタンカフェ急死 主戦の蛯名が見舞ったばかり… (デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
小島太師「ほとんど骨だけのマンハッタンカフェ…最後の気力忘れない」 (スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

未完成な馬体で不良馬場に苦心した弥生賞。菊の権利を取り損ねたセントライト記念。4コーナー手前でトモ脚を滑らせた日経賞。ファンの方には申し訳ないのですが、一報からこちら、思い出すのが何故か負けたレースばかりなんですよね。人気を背負ってG1を制していないことも大きいのかな。アグネスタキオン、ジャングルポケット、クロフネ。少なくともクラシック戦線はこの同期3頭が評価の中心にいましたので。

戦歴はこちら。
競走成績:全競走成績|マンハッタンカフェ|JBISサーチ(JBIS-Search)

改めてレース映像を観てみました。ヒルノダムールやレッドディザイアを経てマンハッタンの走りを見ると、当時のイメージよりはストライドが伸びておらず、ピッチも速め、脚の長さもそこまでではなく、より筋肉質でした。何ででしょうね、同じ鞍上ですのでマツリダゴッホが記憶の中で混ざっているのかしら。ちゃんと振り返ってみてみるものです。

日経賞のラスト2ハロンは11.4-11.4。その手前で脚を滑らせていますので、肝心なポイントで後手に回ってしまったことがわかります。また天皇賞(春)では4コーナーで、ジャングルポケット武豊からの激しいチェックを受けていました。内側にいたこともあるでしょうが、マンハッタンの進路がぶれることはなくむしろジャングルポケットが外に回さざるを得ないという攻防。ここが勝敗を左右したといってよいと思います。いずれも映像で観てみてください。ぜひ。


産駒のイメージは、可動域が大きくなく短めの脚、筋肉質、四輪駆動、仕上がりが遅め、距離適性は個体差が大きい、というところでしょうか。だってねぇ、ジョーカプチーノとグレープブランデーが同じ父親とはさすがに思いにくいですからね。

天皇賞(春)と有馬記念はだいぶロケーションが異なりますのでなかなかイメージが結びつきにくいですが、上記の特徴が、中山と京都を上手く結び付けることになったのだと思っています。産駒にこの守備範囲の広さはあまり引き継がれていないようにも。あー、ここは多分に漠とした印象で語ってしまっていますね。

望田さんのブログ記事を引っ張っておきます。自分自身の主観も大事と心得ていますが、こうした分析の精度もまた、しっかりと取り込んでおきたいですね。
マンハッタンカフェ死亡 - 血は水よりも濃し 望田潤の競馬blog



最後に。

先日、ルージュバックの札幌記念回避が発表されました。北海道への輸送に起因すると思われる熱発、とのことで、これで凱旋門賞は厳しくなったといえそうです。父は凱旋門賞で故障してしまいましたから、そのリベンジにもなるはずでしたが、今年は見送りとなるでしょうか。それより、個人的にはマンハッタンカフェ自身に札幌記念を走ってほしかったかな。札幌2600を連勝しているように、コースや馬場への適性はあったと思っています。

サンデーサイレンスによく似ていると言われた青鹿毛。残念には違いありません。どうぞ安らかに。

2014.10.09


シガーが死亡したとのことです。

といっても最近のファンでは歴史上の名馬くらいの存在感かもしれませんね。以下はブラッドホース誌の記事。首の変形性関節症を患っていて、手術後の合併症で亡くなったそうです。24歳ですから十分頑張ってくれたでしょうか。主戦だったジェリー・ベイリーがシガーのスピードを素敵に語っています。
Racing Hall of Famer Cigar Dead at 24 | BloodHorse.com

自分が競馬を始めた当時の「見上げる」存在でした。アメリカ最強馬、という響きで真っ先にイメージするのがCigerなのです。たぶんサラブレの付録だったと思いますが、部屋にポスターを貼っていたのを思い出しました。いやー、どミーハーですよねw

特徴をよく示すのは95年のブリーダーズカップ・クラシックでしょうか。4コーナー手前で早めの進出。内から4頭目あたりの外目を回りながらグンと抜け出して押し切るという、いかにもアメリカンな強さですね。ていうかベイリーが自信満々w
Cigar - 1995 Breeders' Cup Classic + Post Race & Interviews -YouTube


そうそう、当時の世界記録に並ぶ16連勝を懸けたレースは、まさに記録達成のために設けられたサイテーションチャレンジ。同じ連勝記録をもつサイテーションにちなんで名づけられたレースで、無事に勝利するあたりが役者です。当時はネット環境が普及していませんでしたから、専ら地上波の中継で取り上げる映像と、週刊誌の記事などでわくわくしていたのを覚えています。


個人的に、最大の功績は第1回ドバイワールドカップに参戦したこと、そして勝ったことだと思っています。いまでこそ恒例のドバイミーティングですが、当時のワールドカップはノングレード。賞金の高さとチャーチルダウンズを模したナドアルシバ競馬場で、当時の最強馬が(それも連勝を継続中)もろもろのリスクを取って中東からの招待を受けるのかが話題に上がっていたと記憶しています。

確か調子がいまいちだった?かつ直線でソウルオブザマターの猛追。それに対してガンをくれるように半馬身からこちらに近づけないチャンピオン。役者ですわーw
Cigar - 1996 Dubai World Cup + Post Race -YouTube

国策として競馬に取り組むドバイからすれば、アメリカはお得意様ですものね(石油の話)。是非ともチャンピオンクラスの馬が出走した中で第1回のレースをアピールしたかったのでしょう。アウェイを承知で遠征を決めた背景は他にもいろいろあったかもしれませんね。ひと側にノウハウのない中で結果を出したことが、馬自身のタフさを物語っていると受け取っております。ちょうど日本馬3頭の凱旋門賞が残念な結果に終わっただけに、その力強さがうらやましくも思いますよ。


引退後に無精子症が判明したのは残念でしたが、あの強さのイメージはなかなか損なわれてはくれません。プリークネスSのサンデーサイレンスと並んで脳裏にパッと浮かぶ勇姿。時間は確実に経過していますね。どうぞ安らかに。May you Rest in Peace.