2014.07.07


ROUNDERS vol.4、ようやく読み終えました。

ここ2、3週間、いち早く入手した方のツイートを治郎丸さんがRTされていて、まぁ何度と目にする表紙の画像に完全におあずけ状態でございましたw いや、たくさんツイートされているのはいいことなんですけどね。

落ち着いて読む時間が取れないのがわかっていた分、購入自体を保留していました。我慢が効かなくなる、というほどではありませんでしたが、いやーこのおあずけ状態は毒でしたねw

感想でもありますが、いもづる式に脳裏に浮かんだこともありますので、かいつまんで書いておこうと思います。



吉田直哉さんのテキスト。

非常に参考になりました。今回「馬見」というタイトルから、初心者に違いを説明するヒントが得られることも期待していたのですが、以下の表現にそのヒントを見たと思っています。

新馬とオープン以上の出走馬を見ることは、馬の良し悪しと理想の形を理解することに寄与すると思います。



初めてのパドックですと毛色くらいしか個体間の違いが伝わらないはずですが、このくらい馬体が違えば端的に映るでしょうね。中学生の陸上部とウサイン・ボルトくらい違っているでしょうから。…適切に例えられているかしらw あ、初心者には昼前からメインまで間が持つかがひとつのハードルになりそうですけど(既存ファンのレース間の忙しさはまずわからないですものね)。でもこの比較ならはっとする瞬間を得てもらえそうです。

個人的にはそれこそ世界陸上のビッグネームのウォーミングアップにヒントを得ていまして。仕上がったカラダが軽くランニングすると、力をいれていないのにグンッグンッと推進するんですよね。そこから、鍛えられた筋力は軽い動きにも表れる、という認識を持つに至っています。そのイメージを得たのはマイケル・ジョンソンなんですけどね。いまMJっていっても伝わらないかな。

で、この感覚をパドック観察に転用しています。力を入れずに歩幅が伸びるといいますか、リラックスした歩様ながらより余分に、メリハリをもって、大きく推進している馬は好感をもって見る癖があります。パッと思い当たったのはカネヒキリですね。この基準だとたまに仕上がり過ぎた馬をチョイスしてしまうのですが、あとはそれこそ「勘」でさじ加減を調節しています。

あー、角居厩舎のボリューミーな仕上げにやられやすいのはそういうことかw 必要な筋肉も絞り上げるようなギリッとした仕上げよりは好感もちやすいのは確かですね。書きながら自己確認。



また、以前から「容積」「スケール感」という言葉で、総排気量といいますか、スタミナの器の大きさといいますか、肺活量の値の大きさだけではない胸前から肩にかけての充実感を感じ取ってきたつもりでいます。この捉え方、多分に我流だったのですが吉田さんのテキストでちょっと答えあわせができたように思っています。合ってたみたい!と軽く高揚しました。以下、引用します。

(新生子について)肩や臀部に広さと奥行が感じられ両方ともしっかりした容積を持っているかどうかを観てみます。

(米国のセリで前半身、肩と首に重きが置かれる点に言及して)肩は胸腔のサイズを図る尺度となり、心臓・肺を収納する十分な空間を持たなくてはいけない。



容積が大きいということはより多くの酸素を取り込んで体内に循環させられる証拠、そして十分な栄養と運動が身になっている証拠。パドックでその「膨らみ」を確認できるのは、これらの意味でアドバンテージなのでは、と推察しています。より酸素を摂取し、より食べてより動ければ、もって生まれた容積がより成長を担保する、という理解なのですが、違うかな。

ずれた理解だったとしても、仮説検証ができたと思えば少しずつでも理解に近づきますものね。引き続きこの視点でパドックでの馬の迎え方に気を遣っていこうと思っているところです。

ちなみに昨年のダービーや今春の皐月賞はその観点で予想を組み立てていました。備忘録をかねてリンクを記しておきます。
more than a DECADE ダービー
more than a DECADE 皐月賞

…あー、容積ばかり見ていて外すパターンもありますね。超スローペースになった場合とか、スタミナの底を問われないケースでは顕著なイメージ。馬見の楽しさの一方で、予想のファクターは様々ですから焦点の定め方は難しくもありますね。



意外だったのはハリケーンドクターさんの記事。購入前の構えとして「馬見」の響きから馬券予想や一口馬主に向いた内容かなと想像していたのですが、この記事はいい意味で裏切られました。これもまた「馬見」ですね。サラブレッドの日常(生老病死すべてですね)を目の当たりにする機会はなかなか得られませんので、貴重なエピソードを披露いただいたと理解しています。ここでの詳述は避けますね。是非ご一読ください。



今井壽惠さんの名前も久しぶりに目にしました。ハイランド真理子さんの記事ですね。ファインダー越しの「馬見」。その今井さんを通した競走馬もまた楽しみのひとつでした。以前、清里まで展示を見に行った際の記事を引っ張り出してきましたので、よろしければ。
more than a DECADE 今井寿惠

文中に今井さんの作品に関する件があるのですが、自分も例に漏れず、あのヌレイエフを挙げてしまいます。ポストカードあるいは清里フォトミュージアム発行の写真集で目にすることができますので、興味のある方は是非。なにかステマという表現もすっかり目にしなくなりましたねぇ。ピュアにお勧めいたしますよ。以下のリンクにて。
株式会社ニューマーケット|写真家 今井寿恵 競走馬・競馬 関連グッズ 販売サイト



肝心の治郎丸さんの「馬見」。

スター馬体チェック法と題して治郎丸さんオリジナルの切り口も披露されていますが、これまでにない斬新な見方というより、あちこちで既出のメソッドをわかりやすく整理した内容になっていると理解をしています。あ、これまでの馬見に関する文章はわかりにくかったのでは、という見解も合わせて述べられていますね。

詳述は避けるとして、個人的には、以下の言葉が本書での治郎丸さんのスタンスを象徴していると思っています。

全体を理解するために、部分(パーツ)を解剖(分解)してみても、結果としては全体を見失ってしまうことになる。



部分の足し算が全体とは限らない、ということですよね。目、口、鼻と部分の印象を足してみても顔全体の印象とはイコールにならない、というのはゲシュタルトという概念を引っ張ってくればよいのかな。かえってわかりにくいか。自分もちゃんと勉強してないですしねw

全体をわしづかむ力を磨くには部分を見つめる必要があるとは思っています。そのためのTipsや着眼の仕方について読み物を探している方には、今回のvol.4はお勧めの内容かなと思っています。


正しく見ることができているのかはわかりませんが、個人的には、パドックや返し馬で個体の躍動感にやられる瞬間は馬券を当てるのと同じくらいエモーショナルですのでね。以前より時間を見つけては府中に通っているのは、馬を見ること自体を愉しんでいる面があるからなのだなーと、読み進めながら再確認した次第です。



僭越ながら、ROUNDERSについての心象も少し。

これまでの3冊からさらにトーンが変わってきているようにも思いました。なんといいますか、コンセプチュアルに整理されつつも治郎丸さん個人の見解の吐露、という特徴はこれまでと変わらないのですが(広報誌の類ではないですからそれ自体は問題ないと思っていますし、むしろそれが読みたいわけですけれど)、受け手の好き嫌いが生じる余地もまさにこの点にあるなぁなどと勝手に心配をしておりました。より多くのひとに触れてほしい内容である分、編集長の見解が強くでることがかえってノイズにならないかと。この意味でこれまでのROUNDERSは、よしあしでなく、同人誌という印象がありました。

前回のvol.3は野平師に直接親交のあった方の言葉を並列させつつ、治郎丸さんの思いを語っています。対して今回のvol.4はご本人の記事が中心ではあるのですが、そこからもう一歩下がって自身の言葉をつむいでいるように受け取っていまして。深堀りできない面は別の方にしっかり委ねているような構成に見えているんですよね。

ROUNDERSとして期待されている役割を果たす姿勢の模索、がきっとあるのでしょう。それはROUNDERSが作り手の思い入れを少し離れて、いい意味で一人歩きし始めている表れなのかな、などと感じております。

Publicationは出版を意味しますが、なぜROUNDERSがPublicに向けて言葉をつむぐのか、その内実がもうひとつ熟成されているのかもしれません。ひとり分の見解の吐露ならそれこそブログが適当ですものね。いち読み手としては歓迎すべきベクトルだろうと勝手に理解をしております。

…そうですね、多分に勝手な読み取り方ですので、全くピントがずれているかもしれません。平たく言うと、面白かった、次回vol.5も期待しておりますということです、はいw



最後に。

日曜のラジオNIKKEI賞。パドック映像でウインマーレライをピックアップできたのはROUNDERSのおかげかなと思っていますが、勢いでクラリティシチーを切ってしまいまして。だって以前ほどの出来になかったんですものw 結果的に馬連を買って1、3着。ウインフェニックスとの馬連ならワイドにしておけばよいのにねw 予想には馬見以外の事前情報が必要だという証左かもしれません。あー、あいかわらず馬券力がないだけ、でよさそうです。

…ウインフェニックスをピックアップできた理由?葉牡丹賞やNZTのイメージ、中山と福島の相似、スズカフェニックスとアグネスデジタル、内枠、パドック映像での馬見、石橋脩、そしてこれらの混ぜ合わせ。…うーん、「勘」ではなく「たまたま」といっておきましょうかw


2012.06.17

ROUNDERS、ようやく読み終わりました。

後に楽しみを取っておくのは割と苦にならない性質なのですが、今週はずっと「読み終わっていない」という思いを引っかけながら仕事していました。特集が野平祐二ですからね、そりゃ保留し続けたら健康に悪いですものねw あ、ツイート見られた方向けに。ちゃんとご飯してから読みましたw 今回もいい切り口と感じています。いくつか琴線に触れた記事について書き留めておきますね。



口笛を吹きながら。

自分が大学の頃というと10年以上前になりますね(遠い目w)、通学の行き帰りにGallopは手放せませんでした。ちょっと横道に逸れますが、週明け月曜の朝、山手線より内側のキオスクではたいがいGallopが並んでいます。平均すると店頭に並ぶのは月曜の午後くらいでしょうか。それからすると早く手に入るわけです。ネット黎明期、ケータイが高価でPHSを使っていた頃です。通学途中に「いちはやく」それを手にして日曜の重賞の結果から読むのが習慣でした。というか今でもそうですねw 特にその当時は、自分が感じたことと雑誌の語り口の距離を測りながら読んでいました。なつかしいなー。なお、そのリズムが好きなので定期購読は避けております。割引は魅力なのですが、さすがに月曜朝に自宅には届かないでしょうからね。

その大学当時、ちょうど連載していたのが野平師のコラム「口笛を吹きながら」でした。なんといいますか、今から考えると随分無自覚に愛読していましたね。今回のROUNDERSにはそのいくつかが再録されていますが、これがまたなつかしい。

例えばエアシャカールのキングジョージ遠征など、もうズルズルッと思い出しますね。当時は勝算も意義も不明なまま、オリンピックで日本代表を応援するような感覚でいたのを覚えています。「いい経験ではいけない」。野平師の言葉は善戦を讃えるマスコミ全般の論調にあって異質だったと記憶しています。それは厳しい評論でもあり、ファンが競馬を受け取るための羅針盤であったとも思います。



「競馬」という付加価値。

その在り処を確かめる語りの難しさを最近感じています。評論を特定の誰かに託すのは難しい時代なのかもしれません。是非はともかく、すぐにオンラインで相対化されてしまいますからね。その当時はいまよりメディアも限られていましたから、さきほど語った「距離」、競馬で起こる出来事をどう評価すべきか、その手掛かりをこのコラムに求めていたように思っています。あー、筑紫哲也さんが亡くなった時に似たような感覚を覚えて投稿したことを思い出しました。
スタンダードを失うこと

いま野平師を取り上げることは、競馬ってどう大事にしたらよいのだっけ?という問題提起でありうると感じています。野平師に対するこれまでの認識は、競馬人としての「所作」を中心に語る姿勢だったのですが、よく見ると競馬の「経営」についてのコメントも随所に見られます。野平師のスタンスを通じて付加価値を再確認する行為は、けっこう野心的なアプローチであるように思います。

競馬に限らずですが、あたかもゆるぎなく完成されている価値であっても、その価値を支えて高めて代謝させる動力は、常に、時には強く必要であると理解しています。いつまでもあると思うな、という感覚はそれに近いでしょうか。エントロピーの法則ではないですが、いつの間にか磨り減って見捨てられてしまう価値も多いと感じています。

先人がつむいだ付加価値を消費するだけではなく、その価値を保ったり膨らませたりする意思に少なからず賛同していたいというのが、自分なりに醸成してきた姿勢であると心得ています。消費者だけど生産的でありたい、といいますか。「キザ」でも「かっこつけ」でもあるでしょう。こと競馬に関しては、野平師の言葉からその姿勢を受け取ったと感じています。以前からそう思ってきている分、今回のROUNDERSの期待値は個人的に高かったのかもしれないですね。

…そんなこんなで、さっきから部屋中探しているのですが、買っていたはずの「口笛を吹きながら」がないんですよねw 久しぶりに読みたいのになー。本当にすみません大事にしろよって感じです。



鈴木学氏の寄稿。

その「口笛を吹きながら」を企画した番記者のエッセイも収録されています。熱く、深く、若干の寂しさと愛情のにじむエッセイです。読み進めながら、不覚にも(不覚でもないか)涙が浮かびました。フレッシュネスバーガーでなければ危なかったかもしれません。詳細は、是非ご一読を。勝ち負けだけでない競馬との接点に気づくなら素敵だと思います。野平師の言葉の価値を認め、連載を実現されたことに深く感謝します。でなければ、自分の競馬との距離感はいまより雑になってかもしれませんので。いまはGallopの編集長をされているのですね。応援しますよーw



馬券の極意、野平祐二の馬券指南。

野平師の著作を引用しつつ、治郎丸さんと夏目耕四郎さんがそれぞれの解説を加えていくスタイルで、レースの様々なファクターを取り上げています。vol.3でいまのところ唯一、物申したいのがこのタイトルですね。馬券指南ではないと感じました。レースを観るポイントを、ウマをしっかり見ることを通して指南されていますので、「レースの極意」「競馬の極意」とでも謳った方がしっくりくる印象です。あー、競馬を断定的に語るような、若干おこがましいニュアンスがでますかねw

自分は初心者~中級者向けの教科書という印象をもちました。枠順よりコーナーワーク、少頭数はやりにくい、前駆の充実をよく観察する、3ハロンの末脚と5ハロンの末脚(これは夏目さんの言葉でした)などなど、ちりばめられた知識と着眼点は非常に参考になるはずです。ちょうど、競馬にハマりはじめてしばらく経って、初期の興奮だけでは続かなくなってきたくらいのひとがいたら、この刺激を注入してあげたいですw

ひとつだけ取り上げると、勝つためのポジションを走ることができるウマを探す、という治郎丸さんならではの切り口が語られています。自分なりの理解ですが、例えば先日引退を表明した(残念です)アヴェンチュラの秋華賞がそれでしょうね。「好位の内」と言われますが、その典型であったと思っています。自分なりに「レースの重心」を感じながら観戦していますので、それを当てはめた格好ですね。レース中のペースと馬群の構成を観て、このあたりにポジショニングすると苦しい、とか。キャリアを重ねたファンなら各々磨かれていく感覚だと思っていますが、どうでしょう。ちなみに今年の安田記念は重心をひとつ後ろに外したウマが差し切ったレースだと感じています。



最後に。

藤澤師のインタビューも掲載されているのですが、そこにあるエピソード。海外遠征で惨敗した際に野平師から、お前が惨敗したら誰もいかなくなる、という言葉をかけられたそうです。一見すると弟子や日本競馬を思いやるが故の苦言として、偉大な先達の姿を再確認できる箇所なのですが、このインタビュー記事を読み終えた後だと若干印象が異なっておりまして。

なんといいますか、惨敗されたらオレが悔しいだろって言っているようにも読めるんですよねw おそらくない交ぜにした言葉だったんじゃないでしょうか。その悔しさは誰よりも当事者意識を持ち続けた証であって、それが生涯を通じて活動を続けられた動機だったのだろう、ときれいに解釈をしています。

2011.12.18
夏目さん半笑いさんの共著、ようやく読了いたしました。

Twitterやkeiba@niftyのコラムを拝見していたこともあり
これまでの理解を補正するように読み進めました。



端的に、おすすめですw
方法を問わず、ケイバの分析を試みている方には
是非一読をお勧めいたします。



では、以下、感じたことを書き記しておきます。
本書の要約になる部分もあるかもですが、ご了承ください。

あー、あくまで個人的な分析、心象ですので
「理解の仕方がちがう!」という指摘もあり得ると思います。
言わずにいられない、という場合はコメントくださいませ。
拝読したいと思います。

あと、長くなりますw
こちらもご了承ください。





まずは二人の姿勢から。

ラップから各馬の適性をあぶり出す、という基本姿勢は同じなのですが
適性以外のファクターへの重みづけが異なる予想結果を生んでいるようです。

これは本文の中でも指摘されていましたので、両人とも
ある程度自覚されたうえでのバイアスであることがわかりました。


半笑いさんは適性と能力を相対的に考慮するスタンスでラップ分析をされています。

各馬をきっちり評価することになるため買い目が厳選されるのですが
馬券の買い目、買い方を工夫することで
的中するための確率の幅を調節しています。
「予想力」と「馬券力」という言葉の使い分けは
半笑いさん特有のものですね。


一方の夏目さんは適性以外のファクターを強いて度外視する姿勢です。
度外視というよりは、適性一点突破という表現が妥当かな。
結果として思い切って穴馬を指名できるメリットを享受できる特徴がありますね。
リアルタイムで読んでいましたが、北九州記念の
「隠し玉」のくだりは、すさまじい切れ味でした。


どちらも予想を生業にされている分、質量ともに
できるだけ馬券が的中すること(し続けること)を重視していますので
そのための工夫がそれぞれのスタンスの差として表れているようです。


そして両者に共通する特徴は、ラップ分析による
そのレースに適性のないウマの把握、と受け取りました。


自分は主に半笑いさんのコラムを好んで読んでいるのですが
この適性外に関する分析で、自分の見解を確認したり整理したりできるためと
改めて説明をつけることができました。収穫です。

うーん、別の表現をするなら、多少語弊があるかな、
半笑いさんは適性を各馬のキャリアという「線」を重視して捉えていて
夏目さんはレースやコースの適性を「点」で捉えているように
思いました。




ラップ分析という手法の採用について。

様々な属性に関するデータがケイバの予想に使われています。
血統しかり、ジョッキーや厩舎の傾向しかり、距離別の成績しかり。

ただそこに共通するのは、データの切り出し方が適切であるのかという
精査の視点が不足していることと理解しています。

例えば、府中=トニービン。
これは実績データを積み上げた結果でてきた定説?と思いますが
これがやっかいだと思っています。

トニービンの血を持つウマが府中で良績がある、ということと
トニービンの血を持っているから府中が得意、ということは
論理的には別のことです。

記号に置き換えると「P→Q」は「P=Q」ではない、と
なりますでしょうか。

でもこの順序で予想している場面って昔からよく見かけますよね?

エンターテインメント的、ないしはキャッチコピー的に
こうした言葉が機能するとは思っているので
あたまから否定してかかることはありません。
個人的には「?」をつけながら臨むことにしています。


それに対し個別のレースラップは、パフォーマンスの結果です。
もちろん馬場差など様々なファクターが包含されていますが
そのウマがパフォーマンスした結果であることに違いありません。

データの切り口の妥当性について、などと
精査する余地はないわけですね。

起きた事実から将来を予測し、対策を立ててアクションする。
当たり前のことのように響きますが、個人的には
この手順を外した予想がまだまだ多い、と思っています。


ビジネスマネジメントの概念に「PDCAサイクル」というものがあります。
計画して(Plan)実行して(Do)ふりかえって評価して(Check)改善につなげる(Act)。
これを繰り返すことで業務を改善していくという考えを示す用語です。

お二人ともに、復習なり回顧なりには時間をかけているとのことです。
それは競馬予想業務の継続的改善、といってもいいかもしれません。


ラップという手法の選択と有用性への理解、そして週単位でのPDCA。
きわめて手堅い手続きだと受け取っています。




耳馴染んだ定型句について。

本文の中で「切れる脚」という表現の使用に
慎重な姿勢をしめす場面があります。

これは上がり3ハロンが速いことではないんですよね。
ん?言うまでもない?
でも、そうした表現はいまでも見かけます。

詳しくは本文を見ていただくとして
こうした定型句を検証する姿勢も、
信頼に足るものと思っています。

あ、検証結果について同意見であるかは別ですw
「切れる脚」「長くいい脚」の見解は納得でした。




好みについて。

女性のそれではないですよw
ラップへの視点も交えたケイバの好みについてです。
ご本人には心外と思われるかもですが
ちょっと夏目さんと重なるんですよね。

美しいラップのくだりでセイウンスカイ@菊花賞を選ぶところや、
フサイチコンコルドを追っかけていたところなどは
すごく重なります。

セイウンスカイについては以前書いたはず…

(調べ中)

…ありました。
鞍上にスポットを当てた記事で触れていましたね。
そうそう、ホクトスルタンとのラップの相関でした。
横山典弘

似た感覚を持った方がいらっしゃるのは
身勝手ながらもうれしくなるものですね。




フレームワークとしてのラップ分析。

なんといいますか、こうした量的事実の分析が
いろいろな予想法のベースになってほしいと思っていまして。

もっと端的に楽しみたい人にはややこしい手続きに映るのかなー。

でも初心者から中級者へのステップアップくらいのタイミングで
手を伸ばせばこの分析にパッとたどり着けるくらい
スタンダードな立ち位置を確保してほしいですね。

その意味では、本書はラップ分析の教科書、という
位置づけでもよいかもしれません。




自分のスタンスの確認について。

「能力・適性・調子」に自分なりに
「性格」を加えているみたいです、という見解は
以前の投稿通りだなと思っています。
三冠の見極め

もうひとつ気づいたのは、その「性格」の中に、
今回予想するメンバーが作り出すレースの性格、というのも
実は含んでいたかな、ということ。

ペースを作り出す逃げウマがどんな適性を持っているかで
仕掛けどころや馬群の密集具合が変わることは
上記の4単語のどれに含まれている?と考えた結果です。

そうすると、本書でラップの傾向がバラバラ、と
指摘している施行条件がありますが、
エントリーした各馬の適性や性格に
その都度の展開が左右されているため、と
受け取りなおすことができました。




自分のツボの再認識。

なんといいますか、分析が可能になったうえでの青田買いといいましょうか、
ラップを分析してふるいにかけたうえで、
例えばいくつかの実績のないファクターに目をつぶって
未知の伸びしろを見込めるウマに賭ける癖。
というかその時生じるワクワク感が好きなんですよね。

だからこそ、ジョワドヴィーヴルの阪神JSはうまくいきましたし
ショウナンパルフェでダービーに挑む無謀さも発揮してしまったわけです。

回収率がごにょごにょ、と思いつつも
予想が嵌った時のカタルシスたるや、もう昇天ものですからねw
のぼるてん、ですよw

そりゃあ、回収率を厳しく問われるプロとは
スタンスも結論も違うわけですね。
という再認識に至りました。





最後に。

Keiba@niftyでの連載を編集した内容で
1章分取っていますが、その元ネタの連載。
年末で終わってしまうようです。

もう少し続けられないものでしょうかねw

せめてトータルで1年分、大半の重賞レースに見解を示すまでは
お願いしたいと思います。是非!



2011.08.07


この5月に創刊された雑誌です。

当初はネット販売のみだったかな。
7月にはウインズで手に取れるようになっていました。
拡販と好評さが比例していると受け止めています。

編集長は、治郎丸敬之さん(フォローありがとうございます)。

ご本人のブログ「ガラスの競馬場」は昨秋くらいから拝読しております。
その着眼点と議論の深化ぶりはもう素晴らしいのひとこと。
個人的には嫉妬を覚えておりますw

あら、対抗意識を燃やしている?謎の勘違いが入っていますねw

でもあの駆使される言葉の数々は、正直うらやましい。
特に野平さんへの愛情を記した記事と
「決断」についての記事はお勧めです。


そのテイストがどのように雑誌として昇華するか、という期待値から
先日ウインズ後楽園で購入いたしました。

先ほど特集部分を読み終えたので
読後感を書き記しておこうと思います。

長くなりますので、お覚悟のほどw




特集記事は「調教」。

上記ブログの告知でこのテーマ設定を目にしていましたが
第一印象は相当語り難しいのでは、というものでした。

比較的最近ですが、調教師はアーティスト的な面がある、という言葉に
触れた記憶があります。

その比喩の信ぴょう性はともかく、そうした表現が流通するように
ウマの状態を見極めて心身のピークを作り出す手法は
調教師ごとに独特、ユニークさをもっていると認識しています。

そのユニークさが厩舎のカラーであり、セールスポイントであり、
そこにビジネスとしての結果の差、期待値、信頼が生まれているわけです。

いわば調教の手法は「秘伝のタレ」「おいしさの秘訣」であるわけで
簡単に披露してくれるトレーナーはいないでしょう、という
邪推が真っ先に立っていたわけです。

おそらくはその問題を認識されたうえで仕上がる雑誌が
どのような語り口になるのか、が自分の期待するところでした。



雑誌の末尾に編集長自身で書かれた記事、
「調教のすべて」があります。

ブログの記事を再構成した形で、調教をどのように着眼すべきか、という
持論が展開されています。

読後感。ぱっと浮かんだのは
「情報の再構成」「一般論の補正」「論文調」という言葉でした。

わるい意味ではなく、むしろ久しく
こうした秀逸なとりまとめに出会っていなかったなぁ、という感想。
「ガラスの競馬場」自体に感じるテイストでもありますね。


キャリアを重ねるとしっかりわかっていないはずなのに
自明であると処理してしまう事柄が多くなりがちです。

慣れが生み出す良し悪しだと思っていますが
これに改めて取り組まれた姿勢には、よい熱が感じられました。
「ここが魅力的なんだよ」という
馬券を取るための指南とは違うノウハウを伝える熱。
心地よい熱なんですよね。


文章は、関係者コメントなどメディアに既出の情報と
これまでの一般的な調教の語られ方を材料に
自身の私見を織り交ぜて構成されています。

引用が論拠となる箇所が散見されるため
「論文」的な印象を受けたのでしょう。

特に何人かのトレーナーの、「鍛える」という概念の
捉え方の違いについて触れる件は
関係者に迷惑をかけない範囲で、かつ勘所を捉えた
絶妙なバランスで表現されているように受け取りました。

確かに、角居厩舎の馬体、というクオリアはありますw
だってパドックで明らかに違うものw

できれば、馬なり調教とハードトレーニングの
特長の比較、くらい正面から踏み込めたらよかったでしょうか。

…あー、やはり多方面に迷惑かかりますかねーw


特に、ケイバ歴の浅いファンの方には
良質な手がかりになると思いながら読み進めました。




気になった点、あります。
重箱の隅をつつくようですが愛情の裏返しと理解いただければ。
文中の主語についてです。

例えば「たとえば「動き」はゆっくり見えるのに「時計」は速いということがある。」という表現があります。
このくだりは個人的にいただけないと感じています。

ゆっくり見える、と感じたのは誰か。
その後は、その感覚値を根拠に調教の質についての議論が展開されますので
だれが感じたことなのか、主語の明示は重要と思われます。

例えば、「負けられないレースだった」という表現。
あえて主語をあいまいにすることで
陣営もファンも同じ思いであることを暗喩する
レース回顧のような文章の場合は、表現として妥当であると認識しています。

しかし、みんなそうだよね、という見解を前提にスタートする分析なら
説得力としては弱い印象を受けます。

この記事は「調教に対する分析」を「編集長個人の着眼」で書いていることに
最大の魅力があるわけですので、議論の拠り所が
編集長の主観であるのか客観(あるいは一般論)であるのかは
より明示的に区別されていてほしい。

終始一人称視点であるブログを再構成するにあたり、はたして
そのあたりに焦点を当てて検討されていたか。
少し残念な印象がありました。


ただ、以前から、競馬関連の記事は
この主語をあいまいにする手法が
不用意に多用されている認識ももっておりまして。

例えばウマの調子などはどうしても定量的に測りにくいですから、
「手ごたえ十分でフィニッシュ」なんて表現に落ち着いてしまいがち。
空気感を伝える言葉としては効果ありなのでしょうが
読み手も馴染んでしまっているんでしょうね。

あたりまえ過ぎてツッコミが亡くなっているのかなー。

誰がそう思ったの?というツッコミは
健全なフィルターとしていつでもいれていきたいものですw


あー、主語を正確に記述しようとすると文章が煩雑になりやすいのが
日本語の特性のように認識もしており。
書き手がどうバランスするかはいつの時代も悩ましいのかな、とも
思い至るところではあります。




気になるところなので細かいところを書きましたが
もっとも評価しなければいけないこと。

雑誌のコンセプト自体と、発刊したという事実だと思っています。


「創刊に寄せて」という編集長自身のコメントに
そのコンセプトは記されています。
詳細は割愛しますが、自分もその通りと思いますし
そう思ってきました。

競馬は文化、です。
断言でよいです。

いま、生で競馬の魅力を感じている人間に語られ続けられてこそ
競馬が魅力をもち続けていくことができる、と思っています。
この点では近しい自覚をもっているのでは、とちょっとうれしくなっています。ね。

付加価値の塊ですからね。競馬って。
ないと生物として死んでしまうようなものではないですから。

ただ、価値あるものとして認識し、続いてほしいと願うなら
語って語って、その価値を再認識し、再構成して
隣の誰かにその魅力を語り渡していくべきでしょう。

…リアルに、邪魔にされることが多いですけどねw
またケイバの話?みたいな、ねw


紙媒体の、ビジネス面での厳しさもあり
競馬の書き物が以前ほどの厚みをもっていない昨今、
そうした現状に一石を投じた刊行とも思っております。


あー、ケイバのすそ野を広げる類の内容ではないでしょうね。

ちょうど土曜のウイニング競馬で、アスコット競馬場が
婚活や社交の場として富裕層に利用されているという特集がありました。
ROUNDERSはそうしたライトユーザーを取り込むこととは異なる、
けっこうなコアユーザー層へのアプローチであると認識しています。

そりゃあ、ね。例えがわるいかもですが、
「スマートフォンってよくない?機能とかよく知らないけど」くらいの
ライトユーザーがROUNDERS読むのは正直アレデショウw

全然、それでいいと思います。
多様性は大事ですw




できれば発行頻度を抑えてほしい、とか。
直接取材して論拠に厚みをもたせる記事を増やしてほしい、とか。
自身で記事を書かないほうがブログとの棲み分けができてよいかも、とか。

ほかにもいろいろ思うところはありますが
まずは、次回以降を楽しみに。


変わらぬ熱に、期待をしております。



2011.04.29

日中、世田谷は馬事公苑の脇にあるスタバにおりました。

TSUTAYAに併設された店舗で
世田谷通りに面して一部オープンカフェになっており
家族連れや女子高生でにぎやかな雰囲気でした。
(聞こえてしまった会話は超女子トークw)

休日ということもあるでしょうが、ビジネス街のそれとはだいぶ違いますね。

…ホースショーは来週なんですけどねw
酔狂なロケーションは、集中して本が読みたかったためでございます。



そのワイガヤの中で
吉沢譲治さんの「血のジレンマ」を読了しました。

netkeibaのコラム等々でそのスタンスを拝見してきているため
自分としては、改めてまとまって整理された吉沢さんの見解を
読み進めたく買い求めた格好です。


著書の表面的なテーマは、サンデーサイレンスの血統が
日本で飽和している現状を整理すること。

これはもうケイバファンならご存知の通り。
血統シミュレーションゲームファンでもピンとくる話でしょう。

父系も母系も同じサンデーの血が強い影響をもっているため
平たく言えば、次に何を配合すればいい?という
わかりやすい(ビジネス)モデルが示せなくなっている現状を
サイヤーランキングやアーニングインデックス等のデータを取り上げつつ
示しています。
それを血のジレンマ、と表現されているわけですね。

歴史的な事例として、1900年前後のイギリス、セントサイモンを示しながら
爆発的な影響力を持った種牡馬のその血脈の顛末を
日本のサンデーサイレンスになぞらえる、定番といえば定番の議論を
きれいにとりまとめてもいます。


あえて「表面的なテーマ」と表現したのは
サンデーの血の飽和を語ることで、結果的に
日本の馬産事業が全体的に縮小均衡に向かっている事実を
必ずしも明示的ではないですが(いちおう血統の本ですので)
危惧、というニュアンスで指摘しているためです。

それはサンデーサイレンスという血の影響力と
その影響力を信じた投資、つまりより高い成功の確率に
リスクヘッジした(つもりの)マネーが
いつまで生産界に流入し続けることが可能か、という
議論にもつながるわけです。

未来予想図が描きづらいという指摘と
それに対する吉沢さんの慎重な姿勢は
あとがきのなかに垣間見ることができました。


一応終章では、経済的な縮小均衡を打破するためにも
サンデーの血脈を日本から世界に発信すべきという
コンセプトを示していますが、それはごく一般的な見解でもあり
そのために具体的にどんなアクションが必要か、という
もうひとつ踏み込んだ指摘には至っていません。

血統が主要なテーマというコンセプトもあったと思いますが
むしろそこから先の議論を留めている、という印象でした。

なんというか、こうしてみたらどうか、という実効的な処方箋を
温めているように言外に読み取れたのですよね。

ただそれはバイヤーでもブリーダーでもない評論家の立場からは
おおっぴらに言及しづらい類の議論なのかな、とも邪推している次第で。

ほんとうはその第三者的な言及こそが、読みたい評論であり
中小の生産牧場へのカンフル剤になるようにも思うのですが。

粗野な発言になったとしても、
それは混乱の元でしょうか、新しい馬産モデルへの萌芽でしょうか。

画竜点睛を欠く、とは思っていませんが、できれば
資本からも経営からも距離のあるはずの吉沢さんのアイデアを
読んでみたかったと思う次第です。


このメインテーマ、誰と問わず
引き続き精度の高い議論を期待したいと思っています。

少なくとも自分の目の黒いうちは、
ジャパニーズケイバを楽しみ続けたいですからね。

競馬事業の継続性について、目先の利益や興奮だけでない
ピントの合わせ方が
メディアを通じた議論で醸成されるのが理想、
あぁ、書いてて激しく理想なのだとは思いますがw

良質な読み手である努力もまた、必要なことと思っています。
いいものをいいと言えるファンでありたいですね(謎
自戒を込めて、がんばります(謎々




少し視点を変えて。
メインテーマであるサンデーの血の飽和について語る中で、
いくつか唸る個所がありました。


3×4のインブリードに名馬が多いという定説。
まぁ怪しいよね、という趣旨の記事は昔からよく目にしてきました。

本書の第2章で、まさに鮮やかにこの説を相対化しています。
この議論はこれで決着、としてよいのではないでしょうか。
それくらいインパクトがありました。

名馬を生み出す方程式にたどり着くのは
なんと難しいことでしょう。と端的に嘆息、でした。


また、サンデーの影響力に対するカウンターとしての
フジキセキ考。
こちらもまた見事でした。

なぜ初年度産駒が走らなかったのか、
産駒の特長とマーケットの評価にみるギャップ、
その後のシャトルサイアーとしての評価、現在に至るまでの
サンデーサイレンス系普及のパイオニアとしての役割。

その長男っぷりのレポーティングは秀逸と思います。
第3章、必見です。



そして、スタミナを内包する血の重要性。

ミスプロ系にしてもサンデー系にしても
仕上がりの早いスピードタイプの血が大成するためには
スタミナに秀でた母系の支えがあったという分析。
これは以前から一貫した視点と理解しています。


先日の皐月賞。
圧勝したオルフェーヴルの血統構成に想うこと。
母の父、メジロマックイーン。

そのマックイーンを生み出したメジロ牧場は
今週、事業撤退を発表しました。

スピード化の波に老舗オーナーブリーダーは
そのこだわりを貫くことかないませんでした。

本日netkeibaでの吉沢さんのコラムはこのトピック。
沈痛な文面に終始していましたね。。。

縮小均衡の中で失っていくもの。
この喪失感はケイバに限らず、これからそれなりの時間をかけて
日本人が生活の様々な場面で味わっていくものなのだろうか、と
漠とした思いに駆られました。

ちょうど今週は天皇賞(春)。
4コーナー先頭から豊富なスタミナで直線を押し切りにかかる、
CMに映るマックイーンの姿に
先週までとは全く違った感慨を覚えます。




かなり脱線しますが、ちょっと思い出しました。

自分がダビスタにはまっていたとき(最初のPS版)、
サンデーを交配する魅力はアウトブリードでの安定感でした。

アウトブリードの健康的なイメージと
十分楽しめるだけの高い能力で生産できる感覚が
好きだったんですよね。

あ、バンダン配合でガリガリ、みたいなプレイとは無縁でしたw

すでに今は、たやすくサンデーの3×3が成立してしまう状況。
サンデーの意味は変わってしまっていることに
こんな観点からも気づいてしまいました。


本書では、配合にかかる考え方に触れている箇所があります。

配合のトレンドや時代のニーズなど
様々な要因が重なることもあって
ある配合理論にすべてを当てはめることは難しい、
すべては仮説の域を出ない、という趣旨の分析。

吉沢さんの結論は、血統に対する判断は正否ではなく
好き嫌いというスタンスが妥当ではないか、というもの。
このバランス感覚を自分は支持します。

このバランス感覚を、サラブレッドビジネスの場面に
そのまま持ち込んでペイし続けるのは
難しいことと理解はしています。

が、血統をいたずらに消費せず、次の世代につなげることは
このビジネスに携わる人には心に留めておいてほしい
特殊なノブレスオブリッジではないか、と感じています。

すみません、外野から偉そうなことを。

でも土をいたずらに酷使してよい農作物って育たないと思うんですよね。
その感覚がそのまま血統の質を保つことにあてはまる、と考えています。

ここにケイバの継続性の源泉があるとも思っています。




最後に。

馬事文化賞、確定のような気がしてきましたw
井上オークスさんには申し訳ないですがwww




さて、天皇賞(春)に向かい合わないといけませんね。