2009.04.30
おぉ。書評を書いているw

書く宣言をしてから1年くらい経ってるはず。気長ですね。
書きますよー。


タイトル通り、読んだのは「ウオッカの背中」。

現役の競走馬を一冊の本にしたためるのは
勇気の要ることと心得ています。
現役生活をどう締めくくるかによってそのウマの印象が大きく変わるためです。

ただ、ホットなタイミングで売りたい買いたい、というニーズが
あるのでしょう。今後もこの傾向が続く気がしています。



読後の感想。
ウオッカ愛にあふれていて、基本のトーンはステキでした。
そりゃウオッカ好きな人がターゲットでしょうしね。
ええ、好きですともw

印象的なシーンも共通していました。
天皇賞(秋)のレース後、写真判定を待つ騒然とした関係者の横で
最強牝馬2頭が鞍を外して静かに歩みを進め、息を整えるシーン。
周囲の喧騒を横目にした2頭の、時間軸が異なるかのような
清廉なクールダウン・ランデブー。
レース以上に心を打つ光景でした。

また、「ウオッカの背中」というタイトルを掲げた想いが
本文の最後の最後でさらりと見えるあたりもよいなと。

個人的な思い入れを抜きにしたところでは、
取材力とその編集力を評価すべきでしょう。

関係者の言葉をつむいで、その競走馬の実像(対義語はファンの虚像)を、
その輪郭線をあぶりだしていくスタイル。島田明宏さんにも近いのかな。
結果、ドキュメンタリーなテイストが読みごたえを与えていると思います。




一方で、読み進めるという観点でフィットしないところが。

レース描写の合間に関係者のエピソードが差し込まれていくのですが
その結果、肝心なレースシーンを読み進めていくドライヴ感が
あちこちで寸断されてしまい、非常にもったいない!

最後の直線に入った瞬間に同時刻の牧場の様子を描写して
そこから牧場の歴史を振り返り先代オーナーの気概をじっくり語った後、
再び直線の攻防に戻るという。。。

レースの興奮を活字を追うことで再生させたいと思っている自分に、
その期待が意図されていない構成はあまりフィットしませんでした。



あとは「何か」という表現。

人気するウマを描写するときによく使う表現ですね。
実力だけではない「何か」をもっている、的なアレです。

ドキュメンタリー寄りの本になればなるほど
この定型的な表現の登場に、自分は違和感を覚えています。
ましてプロの筆からこの言葉が出るのは残念、の一言なのです。

例えば、プロフェッショナルに料理を評論する際に
「おいしい」という言葉は使えないですよね。
評論すべきはそのおいしさを解き明かすことであるわけで。
そのレベルで使用してはいけない、タブーに近い言葉と認識しています。

言い換えれば、一冊分の言葉を駆使してそのウマを表現する意味は、
また読者がその一冊に向き合う意義は、
それを「何か」と表現せずにその「何か」を表現すること、ではないでしょうか。

職人のこだわり料理を「おいしい」の一言でしか伝えられない
タレントなら残念な限りでしょう。
つまりは、ウオッカを簡単に残念に表現してほしくない、という
ウオッカ愛をもっているわけです。

ちなみにこの本では、結果として、その「何か」をあぶりだすのではなく
著者の思い入れを裏づけする作業に比重が置かれてしまった印象です。
もう少し引いた視点でウオッカ評ができるまで、
筆を持たないほうがよかったのでは、と思ってしまいました。




最後に、この種の本はアーカイブの機能を果たしてくれるのが
適当なポジションと思っています。
そのウマの価値を総括する内容であってほしいのと
本という形として残る、という価値。

だから、現役生活が終わってから
ゆっくり落ち着いて書いても十分間に合うと感じているわけです。

そのウマのファンとして、その一冊を大切にする動機が重要。
…1冊100円の時代にはアナログな発想かもしれませんね。





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