2009.11.17
プリンシパルS。

96年に創設されたダービートライアルですね。
第1回を制したのはダンスインザダーク。完勝でした。

そして第2回。弥生賞馬とのちの菊花賞馬を退けたのは
サイレンススズカ。
ダービーへのステップとして手探り感がありながらも、
プリンシパルSが最も華やかなイメージをもっていた頃、という印象があります。



個人的なサイレンススズカの第一印象は
このプリンシパルSを粘りこむ姿。
そしてダービーの1コーナーでサニーブライアンにひるむ姿。
まだ緑のメンコをつける前、大きく白いハナすじが目立っていた頃ですね。



その頃のエピソードと心象を、その当時の鞍上(これも印象深いのです)上村が
自身のブログで語り始めていました。
「うえちんのひとりごと」で検索してみてください。

デビュー前の印象から、弥生賞のエピソード、3戦目までが一回目の投稿の内容。
二回目の投稿は、4戦目のプリンシパルSが中心でした。

詳細はもちろん、ブログ本体に譲ります。以下、読後感です。





改めて言及されると、なるほど、と思わされることが
多かったですね。

厩舎(とオーナー)の方針は、短い時間で結果を出して
ダービーに駒を進めること。

上村にもスタッフにも、不安があり続けたようです。
スズカの精神状態がはたしてこれに耐えられるのか。

ウマの状態を尊重するのは大事でしょう。
が、コンディションに合わせて目標のレースがやってきてくれるはずもなく。

すべてがベストにお膳立てされた状況など珍しいわけで
ローテーションや、調教の加減などを
最後に決めこむ人間は必要となります。

判断材料をかき集めて、判断を下す。それがトレーナーの役割だと思っています。
(ちなみに健全なオーナーシップは、理想のオーダーを出すことだと思っています)

上村はダービーにこだわってはいないようでした。
その分トレーナーと異なる見解を持つに至ったようです。

ブログにはその当時の苦悩が、誰を責めるでもなく淡々と書かれていました。
当時の裏話もちょいちょい、踏まえながら。




回が進めば、神戸新聞杯まで読むことが出来るでしょう。
あのレースでの騎乗には疑問点が残ったままだったのですが
これも察しが及ぶようになりました。
その察しが正解かどうかも書いてくれるでしょう。

…それがもし、乗り替わりの決め手であるなら
なんというか、せつないものです。





私事ながら、職場ではいちチームのリーダーを任されていることもあり
その当時のトレーナー側の苦悩もわずかながら察するところではあります。

おそらくは(とっくに)上村と同じ懸念を抱いていたのでしょう。
弟子がそのように感じていることも、折り込み済みで
それでも前に進む決断が必要だった、ということと想像します。
そのうえで鞍上を託し続けていたのではないか、と。

でなければ、海外帰りの上村の復帰に合わせて
この期待馬を準備はできないでしょうから。

ただ、若手の弟子の見解にてらいなく耳を傾けるには
互いの経験にギャップがありすぎたでしょうか。
これも難しい話です。




なぜこのタイミングで書くことにしたのか。これはもはや
当人にしかわからないものなのでしょう。
当人にもはっきりわかっていないかもしれません。

繊細な気性と圧倒的な能力に、真摯に向き合った過程を
真摯に書き綴るのなら
いちファンとして、続きを目にしたいと思っているところです。





そしてこれを目にしたからこそ、
JCのリーチザクラウン、現在未決定の鞍上に
上村だったらどのように臨むだろうと思うようになりました。


乗り替わる可能性はないのかもしれません。
しかし、見たい、と思わせてくれております。



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