2011.08.07


この5月に創刊された雑誌です。

当初はネット販売のみだったかな。
7月にはウインズで手に取れるようになっていました。
拡販と好評さが比例していると受け止めています。

編集長は、治郎丸敬之さん(フォローありがとうございます)。

ご本人のブログ「ガラスの競馬場」は昨秋くらいから拝読しております。
その着眼点と議論の深化ぶりはもう素晴らしいのひとこと。
個人的には嫉妬を覚えておりますw

あら、対抗意識を燃やしている?謎の勘違いが入っていますねw

でもあの駆使される言葉の数々は、正直うらやましい。
特に野平さんへの愛情を記した記事と
「決断」についての記事はお勧めです。


そのテイストがどのように雑誌として昇華するか、という期待値から
先日ウインズ後楽園で購入いたしました。

先ほど特集部分を読み終えたので
読後感を書き記しておこうと思います。

長くなりますので、お覚悟のほどw




特集記事は「調教」。

上記ブログの告知でこのテーマ設定を目にしていましたが
第一印象は相当語り難しいのでは、というものでした。

比較的最近ですが、調教師はアーティスト的な面がある、という言葉に
触れた記憶があります。

その比喩の信ぴょう性はともかく、そうした表現が流通するように
ウマの状態を見極めて心身のピークを作り出す手法は
調教師ごとに独特、ユニークさをもっていると認識しています。

そのユニークさが厩舎のカラーであり、セールスポイントであり、
そこにビジネスとしての結果の差、期待値、信頼が生まれているわけです。

いわば調教の手法は「秘伝のタレ」「おいしさの秘訣」であるわけで
簡単に披露してくれるトレーナーはいないでしょう、という
邪推が真っ先に立っていたわけです。

おそらくはその問題を認識されたうえで仕上がる雑誌が
どのような語り口になるのか、が自分の期待するところでした。



雑誌の末尾に編集長自身で書かれた記事、
「調教のすべて」があります。

ブログの記事を再構成した形で、調教をどのように着眼すべきか、という
持論が展開されています。

読後感。ぱっと浮かんだのは
「情報の再構成」「一般論の補正」「論文調」という言葉でした。

わるい意味ではなく、むしろ久しく
こうした秀逸なとりまとめに出会っていなかったなぁ、という感想。
「ガラスの競馬場」自体に感じるテイストでもありますね。


キャリアを重ねるとしっかりわかっていないはずなのに
自明であると処理してしまう事柄が多くなりがちです。

慣れが生み出す良し悪しだと思っていますが
これに改めて取り組まれた姿勢には、よい熱が感じられました。
「ここが魅力的なんだよ」という
馬券を取るための指南とは違うノウハウを伝える熱。
心地よい熱なんですよね。


文章は、関係者コメントなどメディアに既出の情報と
これまでの一般的な調教の語られ方を材料に
自身の私見を織り交ぜて構成されています。

引用が論拠となる箇所が散見されるため
「論文」的な印象を受けたのでしょう。

特に何人かのトレーナーの、「鍛える」という概念の
捉え方の違いについて触れる件は
関係者に迷惑をかけない範囲で、かつ勘所を捉えた
絶妙なバランスで表現されているように受け取りました。

確かに、角居厩舎の馬体、というクオリアはありますw
だってパドックで明らかに違うものw

できれば、馬なり調教とハードトレーニングの
特長の比較、くらい正面から踏み込めたらよかったでしょうか。

…あー、やはり多方面に迷惑かかりますかねーw


特に、ケイバ歴の浅いファンの方には
良質な手がかりになると思いながら読み進めました。




気になった点、あります。
重箱の隅をつつくようですが愛情の裏返しと理解いただければ。
文中の主語についてです。

例えば「たとえば「動き」はゆっくり見えるのに「時計」は速いということがある。」という表現があります。
このくだりは個人的にいただけないと感じています。

ゆっくり見える、と感じたのは誰か。
その後は、その感覚値を根拠に調教の質についての議論が展開されますので
だれが感じたことなのか、主語の明示は重要と思われます。

例えば、「負けられないレースだった」という表現。
あえて主語をあいまいにすることで
陣営もファンも同じ思いであることを暗喩する
レース回顧のような文章の場合は、表現として妥当であると認識しています。

しかし、みんなそうだよね、という見解を前提にスタートする分析なら
説得力としては弱い印象を受けます。

この記事は「調教に対する分析」を「編集長個人の着眼」で書いていることに
最大の魅力があるわけですので、議論の拠り所が
編集長の主観であるのか客観(あるいは一般論)であるのかは
より明示的に区別されていてほしい。

終始一人称視点であるブログを再構成するにあたり、はたして
そのあたりに焦点を当てて検討されていたか。
少し残念な印象がありました。


ただ、以前から、競馬関連の記事は
この主語をあいまいにする手法が
不用意に多用されている認識ももっておりまして。

例えばウマの調子などはどうしても定量的に測りにくいですから、
「手ごたえ十分でフィニッシュ」なんて表現に落ち着いてしまいがち。
空気感を伝える言葉としては効果ありなのでしょうが
読み手も馴染んでしまっているんでしょうね。

あたりまえ過ぎてツッコミが亡くなっているのかなー。

誰がそう思ったの?というツッコミは
健全なフィルターとしていつでもいれていきたいものですw


あー、主語を正確に記述しようとすると文章が煩雑になりやすいのが
日本語の特性のように認識もしており。
書き手がどうバランスするかはいつの時代も悩ましいのかな、とも
思い至るところではあります。




気になるところなので細かいところを書きましたが
もっとも評価しなければいけないこと。

雑誌のコンセプト自体と、発刊したという事実だと思っています。


「創刊に寄せて」という編集長自身のコメントに
そのコンセプトは記されています。
詳細は割愛しますが、自分もその通りと思いますし
そう思ってきました。

競馬は文化、です。
断言でよいです。

いま、生で競馬の魅力を感じている人間に語られ続けられてこそ
競馬が魅力をもち続けていくことができる、と思っています。
この点では近しい自覚をもっているのでは、とちょっとうれしくなっています。ね。

付加価値の塊ですからね。競馬って。
ないと生物として死んでしまうようなものではないですから。

ただ、価値あるものとして認識し、続いてほしいと願うなら
語って語って、その価値を再認識し、再構成して
隣の誰かにその魅力を語り渡していくべきでしょう。

…リアルに、邪魔にされることが多いですけどねw
またケイバの話?みたいな、ねw


紙媒体の、ビジネス面での厳しさもあり
競馬の書き物が以前ほどの厚みをもっていない昨今、
そうした現状に一石を投じた刊行とも思っております。


あー、ケイバのすそ野を広げる類の内容ではないでしょうね。

ちょうど土曜のウイニング競馬で、アスコット競馬場が
婚活や社交の場として富裕層に利用されているという特集がありました。
ROUNDERSはそうしたライトユーザーを取り込むこととは異なる、
けっこうなコアユーザー層へのアプローチであると認識しています。

そりゃあ、ね。例えがわるいかもですが、
「スマートフォンってよくない?機能とかよく知らないけど」くらいの
ライトユーザーがROUNDERS読むのは正直アレデショウw

全然、それでいいと思います。
多様性は大事ですw




できれば発行頻度を抑えてほしい、とか。
直接取材して論拠に厚みをもたせる記事を増やしてほしい、とか。
自身で記事を書かないほうがブログとの棲み分けができてよいかも、とか。

ほかにもいろいろ思うところはありますが
まずは、次回以降を楽しみに。


変わらぬ熱に、期待をしております。



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