2011.09.25
Twitterで赤見千尋さんのブログがリツイートされていました。
荒尾競馬廃止。

こちらを読んで、少し自分の投稿に
補足をしておこうと思いました。

面倒な議論かもしれませんが、明日のケイバを楽しくみるための整理のつもりです。
よろしければお付き合いください。



リンクを貼った記事は廃止発表直後に書かれています。

賞金の安さ、再就職の困難さ、そして馬産の減退と
競馬を続けていくことの難しさ。。。

赤見さんの投稿は地方競馬の窮状を訴える真摯な内容です。
同時に、関係者の目線に比重を置いた内容になっています。

そのスタンスの賛否を問う必要はないでしょう。
むしろ赤見さんならではの経験の軌跡がなければ書けない、
貴重な指摘だと受け取っています。

ただ、この指摘に欠けるものがあるとすれば、それは
ケイバに関心を持たない、ケイバを必要としない人の視点です。




これまで続けてきたことを大事に思うのは
誰にでもある、自然な感情でしょう。

ただ、にわか評論になりますが
戦後の人口増加と経済成長を前提に膨らんだ産業が
今後もこれまで通り継続できる、という暗黙の仮定があるなら
それはひどく楽観的と言わざるを得ません。

ひとが減っていく、ということは
継承できるものが限られていく、ということです。

すばらしい技術や芸術も、次の世代に解されなければ、
次の世界に必要とされなければ、置き去りにされる以外なくなるでしょう。


この面倒な議論は、ケイバが続いてほしいと願う人にとって、
次の世代にケイバの魅力を伝えることが重要である、という確認をしたかったためです。

それは、エモーショナルなレースを目の当たりにすること、
センチメンタルな感情を経験すること、予想行為のゲーム性、
的中のカタルシス、といった幹の部分だけではなく
コストパフォーマンスやマネジメントも含めた
ケイバに関する経験の総体を指しています。

そしてその魅力に気づくためには
ケイバを知らないひとがリーチできるよう
きっかけを作らなくてはいけません。

このきっかけ作りは時流に応じて適切に変化する必要があります。
背景となる社会の情勢もニーズも変わるからです。



荒尾のサービスは適切に変化できたのでしょうか。
変化のための努力は適切なベクトルを持ち得たのでしょうか。

現場の危機感はマネジメント側(この場合は主催者)につながったのでしょうか。
その危機感と工夫の経緯を、取り上げ続けるメディアはあったのでしょうか。

そしてそれがファンの側、楽しむ側のニーズに、
ケイバの魅力に気づくように「仕組む」ことができていたのでしょうか。





例えば、参戦当日。
ホークス杯の冠競走があり、それに伴ってでしょう
ホークス関連のグッズ抽選会がありました。

ホークスのレプリカユニフォームを着た女性が数名、
場内をアピールして回っていた姿には好感を覚えましたが(やらしい意味でなくてね)
あれはホークスファンを競馬に呼び込むためなのか、
競馬ファンをプロ野球に呼びこむためなのか、正直伝わってきませんでした。

荒尾の立地と、オッズパーク利用者を想定するなら
Webで申し込み可能であることが必要でしょう(やってましたっけ?)。

例えば、ホークスのWebサイトとの連携を密にしておくことも
導線として必要な措置ですが
ホークスのサイトにも荒尾競馬のサイトにも、相互に向けたリンクやバナーは
見当たりませんでした(見つけられなかっただけ?)。





自分はWebにかかわる仕事をしていますが
既存の枠組みから、コスト削減を主目的にWebサイトに力を入れているであろう
顧客と向き合うこと、しばしばです。

ディテールは様々にしろ、取り組んでいる事業のプロモーションにあたり
既存のメソッド(利益を得る仕組み)では高コストであったり
顧客のニーズに適切にリーチできなくなっていたりするのでしょう。
(わかりやすく紙媒体と比較されますが、それだけではないと感じています)

ベストではなくとも、効果を生むための妥当な変化として
Webサイトへの注力があると理解をしています。
それもまた、いずれかのタイミングで変化するかもしれません。



エンターテインメントとして充実していないのであれば、
いや、充実し続けるための変化が難しく
それに意欲を示すことも困難になってしまったのであれば、
そしてそれが「公営」という運営スタイルでは構造上、不可能であるなら。

廃止はやむを得ない、というのが自分の結論です。



簡単に言うな、という気持ちの動きはわかります。
頭でっかちな議論では解決しない、という言葉もあり得るでしょう。

生計を立てている人がいることは重々承知しています。
賞金と披露されるスキルに少なからずギャップがあることも
肌で感じてきました。

それを承知で。
ファンに適切にリーチする舞台を整えること。
これからのファンを呼び込むだけの舞台を整えること。
これが継続に不可欠な要件だと考えています。

馬券を買うファンに媚びろ、という意味では決してありません。
観る側の充実を追い求めない仕組みは、
必要とされなくなって不思議ない、という見解があるだけです。


今回はその舞台を整える作業がが著しく滞ったまま
ここまで進んでしまった、と理解しています。
その理解が少なからず的を射ているなら、残念でなりません。




近い未来にケイバが必要とされるために。


ここまで硬質に議論しててアレですが
いろいろな角度で「萌え」があり得るじゃないですかw

エンターテインメントとしての魅力の伝え方は
まだまだ工夫の余地があると思っています。
テレビ中継の番組の作り方とか(あーあ言っちゃった)。


あとは競走馬の販路拡大でしょうか。

関連法規や業界の構造の問題などに精通しているわけではありませんが
国内で需要と供給を完結させる必然性はあるのでしょうか。

型通りのセールではなく、海外から広くオーナーシップを求める動きは…
既得権益に抵触したり、TPPとかまでからむのかなw

言いたいのは、日本で生産された日本の血統を持ったウマが
外国馬としてかの国で活躍するなら、アガりませんか?ということw
メイセイオペラの仔が韓国で活躍とか、ナタゴラの活躍とか。
端的に感激しましたよ?




…むーん。このあたりで締めておきましょうか。

しばらくはこうして、尽きない議論を
続けなければいけない時期が続くでしょうから。

経済的な肥大に寄りかかった継続ではなく
楽しむための適切なサイズはどのくらいか、
それを模索していく動きを期待していく。

それが、明日のケイバを楽しむために
自分が取り得るスタンスかな、と思っているところです。



あ、最後に。

赤見さんのスタンス、応援しています。


こんなコラムも見つけました。
馬事京風 第2回

セオリーのない中では、手探りでもアピールし続けることが
少しずつ、しかし確かな改善を生むのでしょう。
そうした高知の実例が示されています。



という一方、こうした内容のコラムが掲載されているのが
京都馬主協会のHPだというのも、驚き半分、残念な思いも半分。

2010年3月にHP開設だそうです。
コンサイナーの手法に言及するブログなど、馬主協会の気骨を感じますね。

HP1周年の挨拶の記事では、幸ジョッキーの不服申し立てについて触れ
ジャッジの基準についてやわらかくNOを訴えていますし。


主催者サイドの思いが伝わることと、興行の妥当性にツッコミをいれることの
バランスと拮抗こそ肝要と思います。
負けるな競馬マスコミ、といったところでしょうか。



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