2011.12.23


最終レースの模様は、ニュース映像で確認しました。

正直、複雑です。
最終開催日にあれだけ人が集まったこと。

見納め、最後の瞬間に立ち会うというのは
ファンとしての責任感とも、お祭り感とも受け取れます。

どちらも普段からすれば、全く問題のない動機なんですよね。
ピントがずれた感覚のように受けとめてしまっているのは
「いや、惜しんでいる場合か」という憤りが
自分の中心的な感情だからかな、と思っています。

間違いなく言えるのは今日来場された方、
心から廃止を惜しむ方の姿勢を責めるものではない、ということ。

じゃあどこに向いているでしょうね、この憤りは。



売り上げ減への対策は、給与や人員のカットや
馬券販売のネットワーク整備だったというニュースを目にしました。
「手をこまねいていたわけではない」という記事のスタンス。

売り上げ減への対策をハードの整備に求めた方針は果たして妥当だったのか。
ハードをコンパクトにすれば、必ず馬券が売れて
事業継続が可能になる収支が実現できると思ったのか。
誰がそう思ってその施策を打ったのか。
ソフト面の改善など、他に有効な手段は検討されなかったのか。

という諸々をその当時から指摘し論じることができた
競馬マスコミはどのくらいいるのか。


そこまで話が進むと、もはや社会のチェック役として
いまのマスコミの枠組みは機能しないのではないか、と
豪快に発想が飛躍してみたり。

エンターテインメントと報道を同じ組織が扱っていることに
遠因があるのかな、と邪推してみたり。



…社会派過ぎる記事になってますかね。
いかんのかな。


あー、ネット上でのこうした批判は
この記事も含め雑多に埋もれるばかりかもしれません。
SNS的拡散で大きな動きになる可能性もありますけどね。

現状のSNSは、短期的な意見交換に長けている一方で
意見が分かれるようなテーマに関する議論の集約だったり
長期間にわたるプロジェクトの推進には
向かないツールだと感じているところもあり。

端的に言うと、リードする存在を認めにくい仕掛け、じゃないかなと。


…あぁ、これはネットかリアルか、という視点は
関係ない問題かもしれませんね。

競馬サークルというか競馬施行団体全般というか
リーダーを支える日本人の政治力みたいなテーマに発展しそうです。
書いてて少しへこんできました。




すみません。お目を汚す記事になってるかもですが
自分が競馬場廃止に何を思っていたのか、振り返ることができるように。

そしてしっかり切り替えて有馬記念に向かうためにも
いったん書き記しておきたいと思います。

当事者の切実な思いとは比べようもありませんが
競馬場の廃止を避けられなかったことへの無念さは
なにより自分の底流にある思いです。

海風で錆びのはいったスタンドの手すり。
コンパクトなコースと有明の遠景。

一度しか行けませんでしたが、忘れられるものですか。





最後に。

エンターテインメントとしての楽しみは
荒尾所属の3騎手、特に現地参戦でビビッときた
杉村、下村の両騎手が南関に移籍という報道。

新天地、というと聞こえはいいですけどね。
生活から馬集めから、大変な変化と苦労が待っていること推察します。
リーディングに顔を出すとしても信頼を重ねる時間は必要でしょうし。

それでも、あの騎乗っぷりが南関のコースでどう映えるか。
この点に関しては楽しみが増えた格好です。
頑張ってほしいですね。





さて、これで切り替えますよー。

史上屈指の好カードに
どっぷり浸りたいと思います。


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