2012.01.15



身近のビギナーの方にどう魅力を伝えたらよいのか、などと
考える機会が続きました。

ここ半年ほど、ラップタイム分析がスタンダードな思考法に
なってほしいと思っていたこともあり
ビギナー向けにラップ分析が指南できるとステキ、と考えていたのですが
ちょっと躊躇がはいるようになりました。

いや、ラップ分析を全否定するつもりは全くないのですが
少なくともビギナーがまず取り掛かるべき、という
打ち出し方は避けた方が賢明ではないか、と
考え始めている次第です。

まぁ、このブログでどう打ち出しても
強い影響はないと思われますので
いろいろ大丈夫でしょうけどねw

結果として、なぜかマキアヴェッリとの軽い相関を感じてしまいw
上記のような見解の修正に至っております。

非常に個人的な見解なので読みづらいかもしれないのですが
どう考えたか振り返れるよう、つらつらっと書いておきたいと思います。




ずいぶん前に読んだマキアヴェッリの本を思い出したんですよね。
それが頭の中で謎のスパークを起こしましたw

イタリアの歴史物、というとすぐ名前が挙がるでしょうか。
読んだ本は、塩野七生さんという方の著書
「わが友マキアヴェッリ」です。

中世フィレンツェのトップ官僚だったマキアヴェッリ。
その言葉は主に自身の著作を通して後世に語られています。

あくまで主観ですが、日本での一般的な語られ方は
権謀術数主義、目的のためには手段を選ばない、というステレオタイプから、
最近はビジネスマン向けの啓発的な金言というステレオタイプへ
その変遷を遂げつつあるかな、という印象でいます。
まぁどちらもFitしてないんですけどねw

その著作「君主論」では国を統べるための
具体的な行動規範が説かれるのですが、
またその言葉がいちいち刺激的ですからw
言葉尻ひとつひとつに注目が集まってしまうのは
やむを得ないのかもしれません。

あ、ここではマキアヴェッリの言葉の引用は極力避けます。
もちろん研究者ではないですし、
書きたいのはけいばのことですからねw



先の著作は、こうしたマキアヴェッリの言葉を解釈するものではなく
その言葉が発せられる背景、つまり彼の生涯を描くことに
主眼が置かれています。

塩野さんのスタンスは、祖国フィレンツェへの愛情と憂慮が
マキアヴェッリのその生涯を通じた基本的なマインドセットだった、
という説明でよいかな。外してはいないと思います。

雑にいうと、マキアヴェッリって
「愛する祖国フィレンツェを諸外国から守るために
手段など選んでられるか」ていうひとだったんじゃねw
という感じかな。こっちはちょっと外した気もしますw

祖国への深い愛情と憂慮を前提にせずに
過激な方法論だけを取り上げてしまうと
マキアヴェッリ自身を理解するにはピントがずれてしまう、
という翻した表現も可能でしょう。
(塩野さんは言外に?そうしたニュアンスを含めていると思っています)




で、けいばの話w
いままでのは前置きですねw

自分を振り返ったとき、ラップ分析を取り入れる前提として、
思い入れと申しますか、相当な「けいば愛」をそこに見ています。

…そういう躊躇のない表明は大丈夫かってちょっと思いましたw

思い入れのあるものをどう理解し大事にしていくか、という模索の中で
ひとつの方法論としてラップ分析に手が届いたわけです。

なので、けいばと言えばラップ分析という
方法論から覚えてしまうような打ち出し方は
ビギナーの方にとって健全なスタンスなのか、と
考えてしまったわけです。

あ、ラップ分析そのものが楽しい、という
思い入れが存在することは全然ありです。
そこから始まるけいばもごく普通にありうるでしょう。

ただ、予想の方法論に感銘を受けるというのは
サラブレッドなりレースなりから受け取るエモーションからすると
あくまでロジカルな快感と言いますか
間接的なけいば体験だと理解をしています。

まずは「面白さ」「楽しさ」「興奮」といった
ポジティブな体験から始まって
けいば大好き♪になってもらうほうが
ビギナーのステップとして健全な気がしてきているんですよね。

そして、けいば大好き♪がもうひとつ深掘りされる時に
つまり、中級者へのステップとして
ラップ分析のガイドがあると美しいのかな、という
思いに至っております。



翻すと、方法論だけを駆使して
ロジックがぴったりはまるかどうかだけに注目する
ラップ分析は、あくまで個人的な見解ですが
けいばの楽しみ方としては頼りないものと感じます。

おそらくそうやって誰かの予想や思考に依存するスタンスは
自分で感じて自分で考えて自分で決めて自分で買う、の
どれかを(気づかずに)放棄しているのではないかな、と。

そういうスタンスは、実は楽しみ方を知らない状態であって
ファンとしては長続きしないように思うんですよね。
けいばじゃなくてもよいひと、というイメージを持っています。


…前提として「どうせやるなら長くファンを続けてほしい」という
自分の思いがありますね。書いていて気づきました。





まぁ、これだけ書き進めてアレですが
マキアヴェッリを頼って議論する必然性のない話だと思ってはいます。

個人的に中1で「マキアヴェッリ語録」に出会ってしまったのが
つらつら書いている最大の遠因なのだと観念しているところです。
観念?ええ、妥当な表現ですよw





最後に。

一応紹介しておきますね。
「わが友マキアヴェッリ」

ごにょごにょ書きましたが
願っていることはシンプルで
けいばが長く続いてほしい、ということですね。

「あなたと競馬が、100年続きますように」という
すてきなマインドにも通じるかと、勝手に思い至っております。





…あぁ、いまいまだと
ウマドンナきっかけもありますねw

「萌え」マインドセットについては
鋭意分析中ということでw



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