2012.03.07


一報はTwitterで確認しました。

ここひと月くらい飼い食いが落ちていたという関係者コメントも目にしました。
25歳という年齢を考えれば、大往生といってよいのでしょう。


「トウケイニセイ基金」が設置されたのは半年くらい前と認識しています。
馬主さん(お医者さんだそうです)が震災のため病院を継続できなくなり
その後の費用をねん出することが基金設置の動機だったようです。

どの程度集まったのかは伝わっていませんが
全国に呼び掛けてこれに応えるファンがいるという事実が
その存在感を示していますね。


俗に地方交流元年といわれる、96年以降のダート戦線は確認していますが
トウケイニセイのリアルタイムには間に合っていません。
その強さは雑誌や書籍などで追体験するしかありませんでした。
Webで情報収集など、ありえない時期の話。

その頃の乏しい情報ソースのためでしょう、
メディアで語られた「岩手の雄」トウケイニセイは
そりゃあかっこよかったw

きっと全国に散らばるファンも
そうしてヤラれていたのでないかな、と邪推しております。



中央のファンからすればハイライトは
やはり95年の南部杯になるでしょう。

当時の中央のダートチャンピオンは、ライブリマウント。
鞍上石橋守は、いまでこそメイショウサムソンとセットで語られますが
その当時は「ライブリマウントの」という枕詞がノーマルでした。
なつかしー。

名古屋、京都、東京、大井、旭川。
95年の破竹の快進撃は、まさに全国統一のそれ。

交流競走自体が少なかった時期ですので
フェブラリーS、帝王賞と連勝した時点で、残る目標は
未対戦の岩手のアイツだ、という空気になっていったようです。

…伝聞形式がなんともくやしいですねw

そうそう、この種の盛り上げ方は別冊宝島が上手でした。
別ジャンルと引っかけて、比喩的に(かつ下世話に)語る
エンターテインメント本としては秀逸なシリーズです。褒めてるのかw
いまでも読み応えあるはずですので
BOOKOFFなどなど回遊してみてください。



戦うべき相手を求めたライブリマウント。
これを迎え撃ったトウケイニセイ。

当時は非常に珍しい中央からのチャンピオン来襲。
(ホクトベガのエンプレス杯も相当珍しいケースだったようです)

初年度産駒によるサンデーサイレンス旋風の真っただ中、
「ダート」自体にステータスのなかった当時の
南部杯の事前の盛り上がりは局所的かつ異様だったことでしょう。


…ただですね、肝心のレース映像は、実はそこまで
強いインパクトを覚えていなかったりします。
いや、違うんだって。disってないってw

脚元の弱さから遠征をしなかったトウケイニセイ。
そしてこの対決時は、いまでいう8歳。
ライブリマウントとは4歳差ですからね。
ベテランの最後の大仕事、という位置づけでもあったわけです。

レースはトウケイがじりじりと引き離され、3着。
勝負に行った分の3着、と認識しています。



当時の自分が学んだのは、レースでの高パフォーマンスよりも
それまでのプロセスが高揚感を生むケースがあること。

だからこそ、リアルタイムで味わいたかったという
いわれのない後悔をずっともったままですし、
肝心な時はナマじゃないとダメ!という枷を
いまだに自分に課していますし。

あー、それ故ですね、鞍上つながりでもありますが
メイセイオペラのフェブラリーSは
しっかり現地で確認しています。



いま、こういう盛り上げ方のプロットでは
あまり高揚しにくい環境なのかな。
良し悪しあれど、当時はもっとファンタジーな語り口が
あちこちで見られましたからね。
イメージのインフレーションと言いますか。

自分にとってトウケイニセイは最も近しい時代の
ファンタジックなチャンピオン、なのだろうなと
仕事帰りにふわふわ思い巡らせておりました。





データベースは、ひとが情報を引き出す瞬間に
温度を獲得するのでしょうね。

南部杯の決定的な3着を除けば、見事な戦歴がそこに残っています。
全競走成績|トウケイニセイ

いまの地方交流のレース体系ならどんな戦歴を残したでしょう。

お疲れさまでした。あれからまもなく1年でもあります。
東北のケイバ、見守っていてください。合掌。



関連記事
Secret

TrackBackURL
→http://keibadecade.blog98.fc2.com/tb.php/508-f69e5ce4