2012.06.15


寝ないとなので、極力さっくりと。

実感として確かめたかったことがあって、週中は仕事の合い間や通勤時、歯磨き中などなどにTwitterを病的に回遊していました。時間と手間のバランスもあって、Twitterは競馬関連以外ではほとんど使用していなかったんですよね。そもそもどう使われているのかよく知らないなーと思い立ってしまって。自己流リサーチです。回遊の詳細は、えー、ないしょということでw まぁエロかったりグロかったり偏った思想だったり病んでいたりbotが爆笑だったりと、およそ立場のある35歳が寝オチしながら見続けるものでないでしょうねw 感想もエロいなーひどいなーみたいな感じでしたしw

で、確かめたかったことは、Twitter含めたブログツールやSNSなどで、不特定多数によるリアルな「決裁」をともなう議論は可能なのか、ということ。調べ方が間違ってるだろう、というツッコミは、ええ、妥当と思いますw


きっかけは件の裁定でした。

Twitterでフォローしている皆様のコメントを拝見していましたが、もっともと感じるものが大半でした。未来を憂慮する感覚もまた共感するものでしたし。ただ、一連の議論?はどこに着地できるのだろうと思ってしまいまして。そこから、コメントの内容よりもコメントが収斂する手順や着地点、その効果に関心が移りました。

思い思いのルールやニュアンス、時間感覚でモノローグするのがブログやSNSの基本機能だとすると、そこでダイアログするためには、参加各人の手順の共有と了解が必要になります。機能として不特定多数の参加が容易であるため、誰かがふいにそのルールをかき混ぜる懸念はつきません。また、リツイートやいいねは賛同の意を表す機能であって、共通の見解は醸成できても決裁ではありません。いつ、誰が、どのように、どのタイミングで結論をつくるのか。

特に今回は、JRAの規則や体制、運用の見直しを決裁できなければ望ましい効果は得られないでしょう。その役割を誰がどう果たすのかは少なくともTwitterのコメントだけでは不明でした。それを懸念する方もいましたね。ただこの裁定はおかしい、と口をそろえるだけでは正直望ましい結論には至らないでしょう。組織の外側からでもたくさん意見が重なればきっと変わるよ、というのは残念ながら甘めの予測でしょうし。


顔の見えない議論。

そこに決裁する力はないのだ、という仮説検証のため、ネットサーフィンならぬツイートサーフィンを敢行していました。いろんなジャンルの呟きを観まくりましたが、やっぱりモノローグが連なっていることがブログやSNSのベースなのでしょう。あ、チャット的に使えている人やリアルと併用できているひとは、「運用」で機能を補完しているので考えからは除いています。そのテーマに参加する人間が相当に前提条件を共有していない限り、オンラインだけでは「決裁」にいたる議論自体が成り立ちにくいというのがいまいまの結論です。決め事には「顔が利く」ことが重要だと感じています。お年頃ですかねw

顔を示して決裁する団体と直接議論しているのはいまのところ小島茂師しかいないでしょうか。それが頼もしくも物足りなくも感じているところです。JRAの役職者がツイートして意見交換に参加しているわけでもないですし、それはそうなんですけどね。マスコミや評論家の役割を見直すような議論もアリかもしれません。

一方で、ブログやSNSでのわれわれの意見表明は無駄かというと、全くそうは思っていません。ただ、そうした媒体での議論の効果とその限界を知っておく必要はあるんだろうな、と思っています。まとまりのない高尚な愚痴、で終了してしまうにはあまりにもったいない。まぁ、もったいないまま熱が引いていって残念な結論しか残らないことも推測できてしまうわけですが。自発的に発言されている方が着地点を想定しながら、手続きも着地点も含め「配慮」をもって言葉を重ねることが必要と考えています。すごいピンポイントですね。。。

むしろ、前提が異なる人が思い思いにコメントするから、面白いバズチェーンができあがるわけで。無理な議論や結論を求めず、顔が見えない分成立しやすい、そちらの魅力を期待すべきツールなのだろう、と思っています。



小島茂師の不服申し立ては即日棄却。

この棄却をもって、今後のレースではゴール前2、3完歩で他馬の進路を妨害するラフプレーについては、「危険騎乗」でジョッキーはアウト、でも着順に変更なくウマはセーフ、という判例ができあがったというのが自分の理解です。いや、それもわかりませんね。都度都度の感覚で裁定されるなら、審議の基準という概念がすでに崩壊しているかもしれません。それは信頼に足るジャッジの欠如。フェアなレースはジョッキーのモラリティに委ねられる事になった、のでしょうか。


ひとに依ったレフェリング。

ひとつだけ、提案めいた見解を書きます。サッカーの審判にも癖があるように、競走の裁定もしっかり「顔」を出して行うことが妥当な落としどころだと感じ始めています。「大事な試合なのにレフェリーこいつかよ」的な語り口がありますよね。「G1なのにこいつがジャッジかよ」的な競馬の支え方があってよいのではないかなと。読まれた皆さまはどう感じますでしょうか。



最後に。

この件はこれでいったん言葉を控えようと思っています。ブログで発信する頃合を自分なりに推し量った見解です。いっさいの発言を絶対しない、という宣言ではないですが、自分なりに楽しく感じることを書くほうが健全かなと。結果的に暗澹とした価値を横に置けるならその方がよいかと考えている次第です。Twitterでいいコメントがあればリツイートやお気に入りで応えようと思いますし、ファンのアクションを求める動きがあればできるだけ応援していきたいと思っています。推移は見守ります。ファンですから。

録画していた「怒り新党」は書きながら観ていました。まぁ「新3大」のコーナーは手が止まってしまったわけですがw 当時、人気に従ったつもりはないけどアグネスワールド買ってたなーとかキビシイ記憶が蘇りますw こういうことを優先して書きたいですねー。


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