2012.06.17

ROUNDERS、ようやく読み終わりました。

後に楽しみを取っておくのは割と苦にならない性質なのですが、今週はずっと「読み終わっていない」という思いを引っかけながら仕事していました。特集が野平祐二ですからね、そりゃ保留し続けたら健康に悪いですものねw あ、ツイート見られた方向けに。ちゃんとご飯してから読みましたw 今回もいい切り口と感じています。いくつか琴線に触れた記事について書き留めておきますね。



口笛を吹きながら。

自分が大学の頃というと10年以上前になりますね(遠い目w)、通学の行き帰りにGallopは手放せませんでした。ちょっと横道に逸れますが、週明け月曜の朝、山手線より内側のキオスクではたいがいGallopが並んでいます。平均すると店頭に並ぶのは月曜の午後くらいでしょうか。それからすると早く手に入るわけです。ネット黎明期、ケータイが高価でPHSを使っていた頃です。通学途中に「いちはやく」それを手にして日曜の重賞の結果から読むのが習慣でした。というか今でもそうですねw 特にその当時は、自分が感じたことと雑誌の語り口の距離を測りながら読んでいました。なつかしいなー。なお、そのリズムが好きなので定期購読は避けております。割引は魅力なのですが、さすがに月曜朝に自宅には届かないでしょうからね。

その大学当時、ちょうど連載していたのが野平師のコラム「口笛を吹きながら」でした。なんといいますか、今から考えると随分無自覚に愛読していましたね。今回のROUNDERSにはそのいくつかが再録されていますが、これがまたなつかしい。

例えばエアシャカールのキングジョージ遠征など、もうズルズルッと思い出しますね。当時は勝算も意義も不明なまま、オリンピックで日本代表を応援するような感覚でいたのを覚えています。「いい経験ではいけない」。野平師の言葉は善戦を讃えるマスコミ全般の論調にあって異質だったと記憶しています。それは厳しい評論でもあり、ファンが競馬を受け取るための羅針盤であったとも思います。



「競馬」という付加価値。

その在り処を確かめる語りの難しさを最近感じています。評論を特定の誰かに託すのは難しい時代なのかもしれません。是非はともかく、すぐにオンラインで相対化されてしまいますからね。その当時はいまよりメディアも限られていましたから、さきほど語った「距離」、競馬で起こる出来事をどう評価すべきか、その手掛かりをこのコラムに求めていたように思っています。あー、筑紫哲也さんが亡くなった時に似たような感覚を覚えて投稿したことを思い出しました。
スタンダードを失うこと

いま野平師を取り上げることは、競馬ってどう大事にしたらよいのだっけ?という問題提起でありうると感じています。野平師に対するこれまでの認識は、競馬人としての「所作」を中心に語る姿勢だったのですが、よく見ると競馬の「経営」についてのコメントも随所に見られます。野平師のスタンスを通じて付加価値を再確認する行為は、けっこう野心的なアプローチであるように思います。

競馬に限らずですが、あたかもゆるぎなく完成されている価値であっても、その価値を支えて高めて代謝させる動力は、常に、時には強く必要であると理解しています。いつまでもあると思うな、という感覚はそれに近いでしょうか。エントロピーの法則ではないですが、いつの間にか磨り減って見捨てられてしまう価値も多いと感じています。

先人がつむいだ付加価値を消費するだけではなく、その価値を保ったり膨らませたりする意思に少なからず賛同していたいというのが、自分なりに醸成してきた姿勢であると心得ています。消費者だけど生産的でありたい、といいますか。「キザ」でも「かっこつけ」でもあるでしょう。こと競馬に関しては、野平師の言葉からその姿勢を受け取ったと感じています。以前からそう思ってきている分、今回のROUNDERSの期待値は個人的に高かったのかもしれないですね。

…そんなこんなで、さっきから部屋中探しているのですが、買っていたはずの「口笛を吹きながら」がないんですよねw 久しぶりに読みたいのになー。本当にすみません大事にしろよって感じです。



鈴木学氏の寄稿。

その「口笛を吹きながら」を企画した番記者のエッセイも収録されています。熱く、深く、若干の寂しさと愛情のにじむエッセイです。読み進めながら、不覚にも(不覚でもないか)涙が浮かびました。フレッシュネスバーガーでなければ危なかったかもしれません。詳細は、是非ご一読を。勝ち負けだけでない競馬との接点に気づくなら素敵だと思います。野平師の言葉の価値を認め、連載を実現されたことに深く感謝します。でなければ、自分の競馬との距離感はいまより雑になってかもしれませんので。いまはGallopの編集長をされているのですね。応援しますよーw



馬券の極意、野平祐二の馬券指南。

野平師の著作を引用しつつ、治郎丸さんと夏目耕四郎さんがそれぞれの解説を加えていくスタイルで、レースの様々なファクターを取り上げています。vol.3でいまのところ唯一、物申したいのがこのタイトルですね。馬券指南ではないと感じました。レースを観るポイントを、ウマをしっかり見ることを通して指南されていますので、「レースの極意」「競馬の極意」とでも謳った方がしっくりくる印象です。あー、競馬を断定的に語るような、若干おこがましいニュアンスがでますかねw

自分は初心者~中級者向けの教科書という印象をもちました。枠順よりコーナーワーク、少頭数はやりにくい、前駆の充実をよく観察する、3ハロンの末脚と5ハロンの末脚(これは夏目さんの言葉でした)などなど、ちりばめられた知識と着眼点は非常に参考になるはずです。ちょうど、競馬にハマりはじめてしばらく経って、初期の興奮だけでは続かなくなってきたくらいのひとがいたら、この刺激を注入してあげたいですw

ひとつだけ取り上げると、勝つためのポジションを走ることができるウマを探す、という治郎丸さんならではの切り口が語られています。自分なりの理解ですが、例えば先日引退を表明した(残念です)アヴェンチュラの秋華賞がそれでしょうね。「好位の内」と言われますが、その典型であったと思っています。自分なりに「レースの重心」を感じながら観戦していますので、それを当てはめた格好ですね。レース中のペースと馬群の構成を観て、このあたりにポジショニングすると苦しい、とか。キャリアを重ねたファンなら各々磨かれていく感覚だと思っていますが、どうでしょう。ちなみに今年の安田記念は重心をひとつ後ろに外したウマが差し切ったレースだと感じています。



最後に。

藤澤師のインタビューも掲載されているのですが、そこにあるエピソード。海外遠征で惨敗した際に野平師から、お前が惨敗したら誰もいかなくなる、という言葉をかけられたそうです。一見すると弟子や日本競馬を思いやるが故の苦言として、偉大な先達の姿を再確認できる箇所なのですが、このインタビュー記事を読み終えた後だと若干印象が異なっておりまして。

なんといいますか、惨敗されたらオレが悔しいだろって言っているようにも読めるんですよねw おそらくない交ぜにした言葉だったんじゃないでしょうか。その悔しさは誰よりも当事者意識を持ち続けた証であって、それが生涯を通じて活動を続けられた動機だったのだろう、ときれいに解釈をしています。

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