2014.09.16

フサイチコンコルド、21歳で逝ってしまいました。

放牧中の事故、左後脚を骨折したそうです。詳報は以下にて。
1996年の日本ダービーを制した「和製ラムタラ」フサイチコンコルドが死亡 | netkeiba.comニュース
競馬:フサイチコンコルド死す 96年デビュー3戦目でダービー制覇 - 毎日新聞


ひと月前に見学に訪れた際は、普通に元気でした。食欲もしっかり、こちらをプイとやる意思もしっかり。筋肉が落ちて背が垂れていましたが、素人判断ながら加齢によるものと受け取れましたしね。

老衰か、病気か、アクシデントか。来るべき最期はどのように迎えることになるのか。まだまだ先だなと思いつつ、コンコルドの鼻面をなでながらそんなイメージをくゆらせていたこと、いまいま白状いたします。もちろん牧場の方に不用意に紡ぐ言葉ではないですけどね。

2度ほど青森の牧場を訪れていますが、迎え入れてくださった顔と人柄が浮かんでしまって、直接牧場に連絡をとるのはまだ躊躇しているところです。取り急ぎ、感謝の言葉を。最期を看取っていただいて、本当にありがとうございました。
more than a DECADE フサイチコンコルド再訪

一報を目にしてからこちら、自分でも意外な程落ち着いております。先述の通り、少なからず心の準備ができていたからかもしれません。あー、仕事に追われているのもきっと奏功していたでしょうね。この週末はオンタイムな競馬を見つつも、土曜出勤に前後してWINSでDVDを購入してみたり、当時の優駿を引っ張り出してみたり。自分の中でとりまとめる言葉を探す手続きを踏んでおりました。以下は優駿の表紙です。
優駿1996年7月号表紙



以前からこのブログを読まれている方はご存知かもしれませんが、自分の競馬への身勝手な思い入れは(=ファンになるきっかけは)、フサイチコンコルドが勝った1996年のダービーからスタートしています。その経緯は以下にて。一度ブログ更新を止めたことがあるのですが、その際区切りとして書いた記事です。恥ずかしくもなつかしいですね。
more than a DECADE 音速の末脚

デビュー3戦目のダービー制覇、すみれSからの異例のローテーション、逆体温、和製ラムタラ。コンコルドを語る際の枕詞はこんなところでしょうか。ふと、しばらくレース映像を観ていないなーと思い当たりまして先の通りDVDを購入。どうせならきれいな映像で観たいですもんね。96年のG1年鑑。Amazomも品切れでWINSに繰り出した次第です。


1996年日本ダービー、レースラップです。
12.7-10.8-12.0-12.8-13.1-13.0-12.5-12.1-11.9-11.9-11.6-11.7

13番枠のスタートから、1コーナーまでに内ラチ沿いを取り、3コーナーまでには4番枠から先行したダンスインザダークの真後ろに。出遅れが奏功して絶好のポジションを確保できました。キズナの時もそうですが、この頃から内ラチ沿いが必勝パターンのようにも見えますね。

ダンスのひとつ外を進出しながら直線を迎えます。が、前にはいったバテ気味のトピカルコレクターに進路を奪われる格好に。この間にダンスに差をつけられてしまいます。ここをすっと離すあたりはサンデーサイレンスですねー。藤田はダンスの通った跡をなぞるようにトピカルコレクターをパス、あとは音速の末脚が炸裂しました。

過去のダービーとラップ構成を比較してみましたが、私見ながらどれとも似つかないんですよね。残り5ハロンからラップがあがり、11秒台が4つ続いて、ラスト1ハロンの失速幅が少ない。末脚の持続勝負と捉えると、近いのはメイショウサムソンやキズナ、でしょうか。もし直線のどこかで11秒フラットに近いラップがひとつあるような展開なら、おそらくはダンスインザダークのダービー戴冠だったのではないかな、ともイメージが膨らんでおります。

そうそう、パドック映像も観たのですが、ダンスインザダークはいい馬ですねーw いまの自分が96年のクラシック戦線を見積もるなら、圧倒的にダンスインザダークを評価しているでしょう。実は競馬暦を重ねるほど、コンコルドの馬体は自分の好みとは離れていっているんですよね。初期体験を上手に消化できている、ということかしら。


武豊の先行策。優駿のインタビューで小林稔調教師が回顧している通り、乗り方には問題なかったのでしょう。1週前のエアグルーヴも内外が異なるだけで前受けしてからの押し切り、いわゆる横綱相撲でしたしね。ただ、このダービーの反省がよりぬかりのない武豊を醸成していったのは、その後のコメントや騎乗の端々に感じ取っております。

先行する有力馬の直後を通ってコンコルドが進出する様、武豊原案の『ダービージョッキー』を思い出しました。ネオフィリアのダービー、といえば読んだ方には伝わるでしょうか。ネオフィリアは最後方でしたが、ひょっとしてこのダービーが着想に関わっているかもしれませんね。


小林調教師のインタビューも改めて読み直しましたが、なかなか味わい深いものでした。出走直前まで体温計とにらめっこしていたのは認識していたのですが、ダービーに向けて輸送した直後の朝が38度7分、夕方で38度3分とインタビュー中に数字がでてくるんですよね。あとあと編集したのかもしれませんが、坂路の時計といい、数字と観察を交えて状態を把握する姿勢は年齢や時代背景から類推するとなかなか得がたいものだなと。どうやって研鑽できたのでしょうね。

「運プラス力」「運だけでは勝てない」「運は努力して”運んで”くるもの」。所属馬が長く競走生活を送るのが印象的な厩舎。インタビュー中の印象的な言葉もまた、それに沿ったものでした。



ダービー後の思い出をひとつ。

菊花賞以後の出走はついに叶いませんでしたが、古馬になっての復帰戦は産経大阪杯に定められていました。97年の大阪杯を制したのは、前年の有馬記念を2着し、その年の宝塚記念を制するマーベラスサンデー。ずっとわくわくしながら待ち望んでいたことを、そして当週のGallopでコンコルド故障の報にがっかりしたことを、よく覚えています。アガったなぁ、フサイチコンコルドVSマーベラスサンデー。引退が決まるまでやきもきしながら待ち続けていた、その時期の個人的ハイライトですね。

仮に出走が叶ったとしても、おそらくあの不良馬場ではもがいて終了だったような気がしています。実際の結果は以下。
11R 産経大阪杯|1997年3月30日(日)2回阪神4日|JBISサーチ(JBIS-Search)


多少の恥を忍んでですが、ブログでまとめた記事も列挙しておきます。…かろうじて恥ずかしいという感覚は残っているようですねw

こちらはブリーダーズスタリオン訪問時の記事。ひたすらに、眠そうでしたね。
more than a DECADE 13年ぶりの初対面

こちらは引退報道時。リンク先のふるさと案内所の記事でいい感じの写真があがっていました。
more than a DECADE フサイチコンコルド種牡馬引退

こちらは青森訪問時。
more than a DECADE フサイチコンコルドは青森に

全体を通して、現役時のイメージと実馬とのギャップにどう向き合うべきか、ふよふよと迷っている様を書き連ねておりますね。だいぶ面倒な文章ですが、よろしければ。


北海道や青森に行くことができたのも彼がきっかけ。今年は奥入瀬の景色を大事なパートナーに見せる事もできましたしね。実はちょっとだけ、これが最後の訪問になるかもと覚悟を決めていたのですが、彼女がまた来ようと言ってくれたことも有難かった。ひょっとしたらその言葉に救われている部分があるかもしれません。今度はお墓参りになりますけどね。


自分の競馬はまだまだ続きそうですが、初期衝動の大きさは何にも替え難く。寂しいのは確かですけどね。奇跡の末脚に感謝をもって、引き続き楽しんでいきたいと思います。
フサイチコンコルド|JBISサーチ(JBIS-Search)



最後に。

今週水曜のゴールドジュニアー。大井の2歳オープンですが、フサイチコンコルド産駒が観れそうですね。行けるかな。産駒の活躍はもう少し楽しめそうです。


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