2008.11.08
筑紫哲也さんが亡くなりました。

11/7のNEWS23では特集を組み、ゲストを迎えて
一種の総括を行っていました。
ゲストのひとり、鳥越俊太郎さんのコメントがささりました。

筑紫さんはテレビジャーナリズムの羅針盤であった、という言葉。
思い返すと、自分の中での意見調整をする際のキーが
「多事争論」だったりしていました。
影響力の大きさを改めて思います。お悔やみ申し上げます。



この日記の主旨でもあるので、けいばの話に向かいます。
ご容赦くださいね。

この「羅針盤」の役割を果たしていたのが、けいばの世界では
大川慶次郎さんだったなぁ、と思い当たったのです。


自分が知る大川さんは、テレビ中継の解説者。
そして、ご意見番という言葉がふさわしいでしょうか。
ご本人は「競馬評論家」という肩書きにこだわっていましたね。

あるレースのあるジョッキーの乗り方ひとつから
日本のけいばの仕組みが抱える問題点に至るまで、
幅広く見解を語っていました。

毎週テレビ中継での解説を聞き、いくつも書籍を読み、その中で
何を称えるべきか、何を認めてはいけないのか、
自分の「けいば」のスタンダードな部分を醸成させていく
手がかりにしていたことに、いまでは気がついています。

もちろん面識はありません。発言の良し悪しもあると思います。が、
「ものの見方」を伝えてくれた先達、という意味で
私にとっては貴重な存在になっています。



思い出すのは、ナリタブライアンの高松宮杯出走について。

ご存知の方は、あれか、というやつですが。
中距離のチャンピオンホースであるブライアンを
不向きと思われる短距離レースに出走させた関係者の判断について
マスコミが大騒ぎした、というのがざっくりした概要です。
その当時ブログがあったら、即炎上していたでしょうね。

後に出版された回想録で、この件に関する大川さんの見解は、
関係者の決断はアナクロニズム(時代錯誤)である、というものでした。

距離別のチャンピオンが決まる近代競馬で
「強いウマはどの距離でも強い」という思想は
トレーニング方法も科学的ではなかった、ひと昔前のものだと。

また、この高松宮杯で、これまで乗ってきた南井ジョッキーを降板し
武豊を乗せたことについても憤慨していました。
ナリタブライアンをチャンピオンにしたジョッキーを
一度のミス(この前のレースで負けています)で降板させるのは
ジョッキーの存在をないがしろにするものではないか、と。

それは、人馬のコンビで初めて思い入れできるストーリーが成立する、
そんなファン心理をもないがしろにするものではないのか、
という指摘に及びました。
出走する以上そのウマはファンのものである、と。

自分の意見は少々違っているのですが
これら大川さんの見解に触れなければ、おそらく
もっと部分最適な(わがままな)理解に留まっていたのではと思っています。



今に通じる競走馬の分析と、
ドライな乗り替わりに対する情緒面でのフォローと。

一人の人間の見解が持つべきバランス感覚は、先達によって示されることでしか
習うことができないように思っています。

そうか、そんな書評を全然書いてないですね。
書くかなー。



テレビジャーナリズムの熟成期にスタンダードであった存在。
そういった立場で活躍した方が亡くなっていく時期なのでしょうね。
ちょっと感慨深いところがあります。


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