2010.05.14


以前書いた書評を思い出しながら、
優駿5月号の記事を読んでいました。

ドバイ前哨戦から引退後までのウオッカと関係者の経緯が
オーナー(谷水さん)と調教厩務員(中田さん)への取材を中心に
綴られています。


いつどのように二人に取材したか、という重要な点が
明記されていないようで、そこは少し残念なのですが、
ウオッカに思い入れてきたファンにとっては
なんか、あぁ引退したんだなぁ、と
改めて実感させられるような記事でした。

おそらく、心の準備と異なる幕引きだったという状況が
実感を伴わせづらくしているのでしょう。

最終戦は結果的に日本ではなくドバイですし、
引退式もしませんでしたしね。


記事は、関係者の「その時」をたどることで
その実感を手元に引き寄せることに成功していると思います。

特に取材対象である、谷水さんと中田さんは
筆者と同じく日本で前哨戦の敗戦を観ていた共通点を持っています。
そこからウオッカはどのように見えていたのか。

立場から来る視点のギャップを淡々とあぶり出す文章を追うことで、
なんといいますか、心地よい程度の寂しさ(惜しむ気持ち、かな)を
引き出してもらいました。

その着眼点はさすが、ウオッカ愛のなせる業、なのでしょうね。
そう読み解いている自分も、
ひとのこと言ってる場合じゃないんでしょうねー。



個人的に書籍「ウオッカの背中」に足りないと感じていたピースが
この取材記事で埋まったように感じています。
やはり自分は、一競走馬についての書籍には、
どのような引き際だったかという描写が重要と感じているようです。

まぁ、現役真っ只中の出版に話題性が高いというのはわかるんですけどね。
そうした発信は、オンタイム性の高いネットで展開したほうが
効果的な時代だと思っています。



ウオッカという対象を離れたとき、
筆者は次にどんなウマをどのように描写するでしょう。

今回の記事も、取材対象者のウオッカ愛が
内容を厚く強くしてくれているところもあり
筆者のこれからの書き物には期待しているところです(皮肉ではないですよ)。
きっと、いろいろ変化するだろうな、といういい意味での期待です。

そのとき取材対象者を、今回と同様に谷水「オーナー」ではなく、
谷水「さん」と呼んでいるだろうか。とかね。



ウオッカの背中、ようやくクローズ。
この記事、というよりウオッカの引退を中心にした文章が
書籍の最終章に加わっていたならと思うのですが
文庫化はまだでしたっけ?
その際は、是非。


2009.09.04



…ちょっと残念な書評を。

たいがい買って読む本、雑誌には個人的な「読みどころ」があって
しっかりそこで楽しませてくれるものなんですが
(買うまでに選別していますしね)
今回はどうにも。

いわゆるツボにはまらなかったのではなく、
そもそものクオリティが問題なんじゃないかと思い、
いまいまの評価を留めておくために、書いておこうと思います。



読んだのは「最強サラブレッド列伝」。

過去の名馬をダイジェスト的に振り返る企画です。
この手の企画はかつて競馬に力を入れていた
別冊宝島が得意だったという認識でいます。

というか、別冊宝島のテイストをすごく感じるんですよね。
なにか関係があるのかしら。

河内洋のロングインタビュー、に惹かれちゃったんだよなぁw
この時期の企画としてはお見事と思います。
河内の評価基準がしっかり引き出せているので、これはステキ。


ただ、肝心の過去の名馬を振り返る記事が。。。

名馬というだけあって、戦歴やエピソードはすでに
語られているものが多いわけです。
過去のテキストをなぞるだけなら、過去に出版された本を読めば
おしまいですし。…手に入りにくいから焼き直す、ことにも意味はでてくるのか。

こういう企画の場合、最近ファンになった層に向けて
過去の名馬はこんな評価だったんだよ、という一般評をするか
そのとき一般の空気はこうだったが自分はこう感じていた、という
ライターの思い入れで書くか、記事のテイストは大別できると思います。

…どちらでもないんですよね。

一般評の焼き直しであるなら、せめて戦歴はしっかり紹介してほしいですし。
逆に筆者の思いを書き記すなら、任された原稿に
少しでも付加価値をつける努力(の痕跡)を見せてほしいなと。
…言い過ぎかなぁ。

なんというか、エンターテインメントとしてぶっとんでいるなら
それはそれでステキなんですよ。
そのベクトルも中途半端な印象で。




たとえばトウショウボーイ。
変な名前でなくてよかった、名馬はそれなりの名前を持っている、という論を
展開した後、クライムカイザーがはいるから3強か4強かややこしい、と紹介する感じ。
…ごめんなさい、辛口になります。
書くことないなら取材しましょうよ。

さらに、旧5歳の宝塚記念までの戦歴を紹介するところまではよいのですが
その後「種牡馬としても三冠馬ミスターシービーを…」と展開してしまうあたり。
天皇賞秋でグリーングラスをハイペースの共倒れを演じた話とか、
なによりTTGの有馬記念を正面から取り上げないのは、どうして?





なんか、作り手にリスペクトが感じられなかったのです。
それがどうにも腹立たしく。

ケイバへの思い入れが皆無とは思いませんでしたが、
競馬文化や出版という行為、あとどんな読み手がいるのか、とか。
そうした視点での配慮は、読んでいて伝わってきませんでした。

出版を担うということは、少なからず文化を担っているわけで
そこで書き手がイメージを消費してはダメだろうと。
新たなイメージを喚起する骨っぽさがほしいわけです。
…えらそう?いやいや、言うべきことと思いましたので。

…ある馬の記事の締めの一文。
「その答えは読者にゆだねよう。」
読者にゆだねてしまったのは、文章をきちんと締めくくるべき
物書きとしての誇りではないのかな。
大げさではなく、そう感じてしまいました。




記事の中には、いいものもありました。
シンボリクリスエスの切り口なんか、ちょっと唸りましたし。
エアグルーヴの記事は、リアルタイムを知らない世代向けには
お手本のようなまとまり方と思います。

トータルとしては残念でしたが、
次、期待します。



2009.04.30
おぉ。書評を書いているw

書く宣言をしてから1年くらい経ってるはず。気長ですね。
書きますよー。


タイトル通り、読んだのは「ウオッカの背中」。

現役の競走馬を一冊の本にしたためるのは
勇気の要ることと心得ています。
現役生活をどう締めくくるかによってそのウマの印象が大きく変わるためです。

ただ、ホットなタイミングで売りたい買いたい、というニーズが
あるのでしょう。今後もこの傾向が続く気がしています。



読後の感想。
ウオッカ愛にあふれていて、基本のトーンはステキでした。
そりゃウオッカ好きな人がターゲットでしょうしね。
ええ、好きですともw

印象的なシーンも共通していました。
天皇賞(秋)のレース後、写真判定を待つ騒然とした関係者の横で
最強牝馬2頭が鞍を外して静かに歩みを進め、息を整えるシーン。
周囲の喧騒を横目にした2頭の、時間軸が異なるかのような
清廉なクールダウン・ランデブー。
レース以上に心を打つ光景でした。

また、「ウオッカの背中」というタイトルを掲げた想いが
本文の最後の最後でさらりと見えるあたりもよいなと。

個人的な思い入れを抜きにしたところでは、
取材力とその編集力を評価すべきでしょう。

関係者の言葉をつむいで、その競走馬の実像(対義語はファンの虚像)を、
その輪郭線をあぶりだしていくスタイル。島田明宏さんにも近いのかな。
結果、ドキュメンタリーなテイストが読みごたえを与えていると思います。




一方で、読み進めるという観点でフィットしないところが。

レース描写の合間に関係者のエピソードが差し込まれていくのですが
その結果、肝心なレースシーンを読み進めていくドライヴ感が
あちこちで寸断されてしまい、非常にもったいない!

最後の直線に入った瞬間に同時刻の牧場の様子を描写して
そこから牧場の歴史を振り返り先代オーナーの気概をじっくり語った後、
再び直線の攻防に戻るという。。。

レースの興奮を活字を追うことで再生させたいと思っている自分に、
その期待が意図されていない構成はあまりフィットしませんでした。



あとは「何か」という表現。

人気するウマを描写するときによく使う表現ですね。
実力だけではない「何か」をもっている、的なアレです。

ドキュメンタリー寄りの本になればなるほど
この定型的な表現の登場に、自分は違和感を覚えています。
ましてプロの筆からこの言葉が出るのは残念、の一言なのです。

例えば、プロフェッショナルに料理を評論する際に
「おいしい」という言葉は使えないですよね。
評論すべきはそのおいしさを解き明かすことであるわけで。
そのレベルで使用してはいけない、タブーに近い言葉と認識しています。

言い換えれば、一冊分の言葉を駆使してそのウマを表現する意味は、
また読者がその一冊に向き合う意義は、
それを「何か」と表現せずにその「何か」を表現すること、ではないでしょうか。

職人のこだわり料理を「おいしい」の一言でしか伝えられない
タレントなら残念な限りでしょう。
つまりは、ウオッカを簡単に残念に表現してほしくない、という
ウオッカ愛をもっているわけです。

ちなみにこの本では、結果として、その「何か」をあぶりだすのではなく
著者の思い入れを裏づけする作業に比重が置かれてしまった印象です。
もう少し引いた視点でウオッカ評ができるまで、
筆を持たないほうがよかったのでは、と思ってしまいました。




最後に、この種の本はアーカイブの機能を果たしてくれるのが
適当なポジションと思っています。
そのウマの価値を総括する内容であってほしいのと
本という形として残る、という価値。

だから、現役生活が終わってから
ゆっくり落ち着いて書いても十分間に合うと感じているわけです。

そのウマのファンとして、その一冊を大切にする動機が重要。
…1冊100円の時代にはアナログな発想かもしれませんね。





2008.04.03

そういえばよく本を読んでいます。
けいば関連の本、馬券の買い方を指南する本を除いては
かなり手を出しているはずです。

書評もたまに書こうと思い、まずは宣言と
自分が読む本の傾向について記しておきます。



まず、どうも馬券本には、なじまないままです。
ベクトルというか、関心の向きが違うのでしょうね。
ジュンク堂(大きな本屋です、念のため)で馬券本とその他の読み物がしっかり区切られていて
さすが!とうなった覚えがあります。
同じけいばだけど、ニーズは違いますよね?


競馬を始めたころ(96年あたり)は、エンターテイメント系といいますか、
別冊宝島などライターの「かっとんだ」切り口で読ませる本が
多かったように思います(ほめ言葉ですよ~)。よく読みました。
まだサラブレが創刊間もないころです。浜崎あゆみが表紙やってた頃。

その後、G1馬の引退までを綴ったメモリアル的な本がよく出版され、
(タイキシャトルあたりからナリタトップロード、ステイゴールドくらいまではかなりの勢いでした)
こちらも書店で見つけては買う時期が続きました。
島田明宏さんの武豊関連本もこのあたりから、と記憶しています。


調教師などけいば関係者のけいばへのスタンス、ノウハウを書いた本は
今も昔も変わらず刊行されてますね。
けいばやウマの捉え方はこのあたりで吸収していきました。
最近の調教師本だと、角居さんの本でしょうか。



ファンとしてこれは必須!みたいな本はないと思いますが
(それより見逃せないレースを逃さず見るべし。ナマで)
過去に読んだものも含め、
ちょいちょい書いていくつもりでいます。

さしあたり、そろそろ読み終わるのがあるので。
近々に。